琉球古典音楽 五木田音楽研究所 ~ ブログ ~
日々の出来事や沖縄に関する事等、つづっていきます。
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組踊「執心鐘入」--研修発表会を目前にして
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昨日、鶴見は寛政中学コミュニティーセンターで組踊「執心鐘入」の研修会があった。

沖縄から、立方ご指導を宮城茂雄先生、、地謡ご指導を仲村渠達也先生から受けて略3年。
7月17日、24日の研修発表会を目前に、稽古受ける側にも、両先生にも一段と熱気が。

何よりも難しいのは、立ち方の平仄に、地謡がいかに密着してついていけるか、であろうか。
なまわらびの私のごときは、コンクールや資格審査の時よりも緊張してしまう。

素描は立ち方が刻々と動き演ずるところをボールペンで描いたもの。稚拙な線画で失礼を!

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間口と奥行き
琉球古典音楽。私が仲宗根忠治師匠のお宅を初めてたずねた30年ほど前。この言葉と琉球民謡との違いも判らなかった。
このごろ、ようやく、その違いの輪郭が判り始めた次第。

その違いが、「間口と奥行き」ではないかと感じている。
民謡は、いわば間口が広いと思える。入門し易いのである。古典は弾奏、謡い方に細かい制約があり、入門しにくいように感じる。
間口が狭いのである。その分奥行きは奈辺にあるのか、わかりにくいのである。

藪にらみを覚悟していえば、民謡は一定の規範があるが、創意工夫により独自色を出せるのではないか。そこをもとめられるのかも
ところが、古典は「いるちけてぃならんどうや」というところのようである。

師匠から、かように教導されてきて、いまだ道遠く、なまわらびの恥ずかしさ。ああ!
選挙費用節約案
50億円もかかると報じられる都知事選挙。
選挙ばかりが正しい方法か?

現職知事が何らかの事由で空席のばあい、その知事の選挙の際、次点を得ていた人物を繰り上げ人事とするよう法律、条令を作ればよいではないか!

私には政治とは、おそろしく、暇仕事に見えてくる。政治のことはよくわからぬが、とかく、簡単なことを難しくこねくり回して、正体不明なものにしてしまうものにしか感じられない。
副知事はいないのか!
連日の舛添要一都知事の放映には食傷気味である。

彼に代わる人物は云々だが副知事がいれば、器量、雅量、技量ともそなえているのではないのか。

彼に早く辞職を迫り、リオデジャネイロには副知事をむかせることを図るべきだと考える私だが。

日本の首都、東京である。副知事が3名ぐらいいてもおかしくないと思われるが、私は不勉強で

その名前も知らないし、マスコミもそれを報じない。次期都知事の候補名が取りざたされているが、

知名度一点張りの羅列にうんざりである。



新内 明烏夢泡雪 あけがらすゆめのあわゆき
新内 明烏夢泡雪
5月29日、世田谷は祖師谷大蔵での、千代の会(新内、端唄)社中演奏会。
中央は冨士松延千代師匠 右は上調子金坂氏 左が浄瑠璃の小生。

近いうち小生のHPの更新を図る予定。師匠のそれをリンクさせていただいているので、そこにこの写真の
挿入するつもり。
米兵が またしても
今朝の琉球新報紙によれば、米兵が基準値の6倍もの飲酒運転で嘉手納は水釜の国道58号を逆走して重軽傷者を出したという。

過日の女性殺害事件で 喪に服す とての言が空言である。同紙の主張は日米地位協定の改定にかような事件の捜査権の日本側の拡大、奪還にあるとしている。

また、同氏は厳しく対処するという日本側の紋切り型の答弁は、単なるパフォーマンスに過ぎないと主張している。                     
沖縄はまさに 「怒り心頭」 であろう。 沖縄の人々の表情には、いつも南国人らしい優しさを感じるのだが、怒り出したらなかなか
後に引かない勁さがあると私は思っている
音つぼマーク
三線と三味線で、音つぼのマークの大きさが異なっている。三線用のそれは8ミリほどの、三味線用のそれは4ミリ、あるいは2.5ミリの円形のシールで竿に貼り付けできるよう接着剤がついている。

初心者には調弦が容易にできないので、このマークを、糸巻きと竿の糸蔵との合わせに使っている。
最良の調弦に整えておいて、合わせマークにするのである、

理想的には糸巻きと糸蔵に、三角形のマークが頂点同志が接して調弦が完璧になるようにしたいのだが。
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