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琉球古典音楽 五木田音楽研究所 ~ ブログ ~
日々の出来事や沖縄に関する事等、つづっていきます。
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定期健診
今日は市民病院で定期健診を受けた消化器官の検査を聴きに通院。

肝臓の表面に水泡が、胆管に結石が、などと77年も生きておれば、それなりの老化現象があるを告げられたが、ひそかに心配
していた肝機能の数値は許容値域に収まっていた。

この病院で、母を11年前に、次男を4年前に看取っているだけに通院には足が重くなるのだが、自分も直腸癌で10万人に一人の
罹患率、拳3個分の大きさの癌摘出手術を受けた身。

微薫を帯びているときは、今は亡き母や次男が逢いに来てくれるように思える。そんな所為で、ついつい盃を重ねてしまう私だが
この酔い心地だけが自分の生きがい。地獄の3丁目まで行ってきたからこそ、この酔い心地はまさに値千金!
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カーサブランカ でお送りを
DSC0103JPG カーサブランカ
今日は、旧盆の<うーくい>すなわち、ご先祖の霊を黄泉の国に送る日に当たる。
104歳まで生きた伯父は子供がいなかったので、連れ合いのおばの弟の長女を幼少のころから育てられた。

その長女が私の妻。叔母も伯父も沖縄からこの地まで来てくれたと拝察する。沖縄のように紙銭は焚かないが繚乱のカーサブランカ
でお送りできたことはよかった、お二人とも喜んでくれていることかと思う。
かじまやー祝い
DSC0101 (00000002)JPG  比嘉 正翁かじまやー祝い
DSC0102 (00000008)JPG 比嘉 正翁かじまやー祝い
今日は、沖縄のお盆のお迎えの日、うんけーにあたる。104歳で逝世された伯父の97歳のかじまやーのお祝いのビデオテープ
は平成12年製作のものなので、再生器材もないことから、DVDに移してもらうことを知人に頼んでおいたところ、この、うんけーに
間に合うように入手できた。、約4時間あまりのお祝いのDVDを妻とともに見て、今は亡き伯父を偲んだ。

私はいま77歳、97歳からみればまだ青二才。鼻たらし小僧だろうか。映像画面の伯父のまなざしが、そのように言っているかに思える。
第78回公演沖縄芸能大会
川崎沖縄芸能研究会(会長 名嘉 ヨシ子)、川崎市文化協会主催の題記公演がこの11月8日、川崎市教育文化会館大ホール
で13時から開催される。

演目は多岐にわたる。古典舞踊、雑踊り、創作舞踊、古典音楽、沖縄民謡、器楽合奏など17演目。DSC0100 (00000004)JPG 第78回公演沖縄芸能大会
アルパカの敷物
DSC0099 (00000002)JPG アルパカ敷物1
DSC0098 (00000003)JPG アルパカ敷物2
聊か早すぎると思いながら、寸暇を見つけて普段使わない部屋のかた付けを行った。その際に出てきたのが写真のアルパカの敷物。
上のそれは直径90センチほど。下のそれは1,1メートルx1.8メートルほど。上のそれの周縁、時計でいうと11時のあたりが欠損している。かつて虫干しとて、ベランダに広げて置いたところ、鳥が来て恰好な巣の造営材として啄まれた痕跡。ペルーの親戚から送って貰った大事なものだけに桐の衣装箱に入れて保管するのだが、クリーニングは如何したものだろうか。
尚泰久王陵墓
スキャン20150819jpg 尚泰久王陵墓
毎年、今頃はこの 尚泰久王 の陵墓を参詣してきた。そして併葬されている王の長男安次富加那巴志の墓所もである。

私は安次富、屋号仲屋良の婿として、姻戚の方々から参詣を勧められたからである。屋良門中墓もこの王墓に隣接している。

王墓は2008年6月26日、19時30分ごろ大岩が崩れ安次富加那巴志の墓を押し潰した。写真右下は崩壊前。2009年3月修復完工。

今年は野村流音楽協会関東支部からは20名ほどが琉球新報社の古典芸能コンクールに応募している。現在審査を受けている

最中。私も往時のコンクール受験時には、この王墓に参詣して合格を祈念していた。懐かしい想い出となっている。




あしなが蜂
今は亡きわが息子、次男の Y は、これも今は亡きわが母からあしなが蜂と呼ばれていた。
母からは内孫にあたるわが息子たち3人は、ことのほか愛でてくれていた。

とりわけ、次男の Y は背も高く 母からはあしなが蜂の Y ちゃんと呼ばれていた。

時はまさに、お盆の最中、迎え火を焚いた昨日の昼頃から、わが部屋に舞い込み、天井にじっと止まっていたが、今朝、窓をあけて
外に逃がしてやった。どうやて入ってきたものか。

転生という言葉がある。Y はもしかしたら蜂になって戻ってきたかも。妻が言う。数日前、キアゲハの蝶が庭木の枝葉の下を優雅に
飛翔している、何度も繰り返し行き来していたので Yよ、お前なら、ここの網戸にとまって!と声をかけたと。
読経、それも大勢の僧による
昨日が盂蘭盆会施餓鬼法要。菩提寺 三島山感応院で執り行われた。

ご住職を含め八名の僧侶による読経。意味はわからぬが、どうも日本語と梵語と時々替えて唱えられているようであった。

時々唱え出し部分が独唱になるところもあった。各僧の音声の高さが微妙に違うので聴きごたえがあった。バリトン、テノール、

ベースぐらいのところも数か所あった。ほぼ40分ほどで終了。墨あとの鮮やかな塔婆を手にして墓所に参詣。

この時期が済むと、聊かの涼しさが期待できる頃合いとなる。
立秋を過ぎても
 二十四節季の立秋はこの八日であったが。まだまだ、沖縄で言うところの マフックヮ。

今日は盆灯籠を押し入れから出して組み立てねば。それから、 わら細工の牛と馬を買いにいかねば。

母はよく胡瓜となすびを使って牛と馬を作っていたが。沖縄ではサトウキビを仏壇の両脇に2メートルほどに裁断して立てかけて

それを杖代わりにしてご先祖様が往来なさるようにするのをよく見かけてきた。

 明後日12日はわが菩提寺の盂蘭盆会施餓鬼法要の日。
原爆忌
妻がいう。今朝の事である。仏壇に向かい合掌していると、水音がどこかでしているように感じたという。

母の姉に当たる方が広島で原爆で亡くなっている。母の存命中は8月6日になると必ず遺影写真を身近に出して合掌していたので

今年もそれを踏襲して仏壇の近くに飾っておいたのだが。

そうかもしれない。女どうしで何か通じ合ったのかも。私は湯飲み茶わんに水をいれて母の姉の遺影写真の側に、そっと供えた。
盂蘭盆会法要 施餓鬼法要
両法要を併修するとの通知が届いた。真言宗の菩提寺からである。

年頭に実の妹がくも膜下出血で急逝した。その菩提寺は曹洞宗、昨年春に逝世した実弟は日蓮宗の菩提寺。

この時期になると本家の首長としての私は何かと気ぜわしい。

沖縄のように、門中墓であればさほどに気ぜわしくは無かろう、と思うのだが。

今日あたりから、先祖を迎える準備を怠りなくやらねば。
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