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琉球古典音楽 五木田音楽研究所 ~ ブログ ~
日々の出来事や沖縄に関する事等、つづっていきます。
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忍び駒
忍び駒
のこぎり、やすりなどを久々に使った。アルミの押し出し材と溝ゴムパッキンを主材に「忍び駒」を製作した。

夜中あるいは深夜でも、また隣室や隣家にも三線の音がきずかれない様にするための器材である。かつては正月の
門松の廃材の竹を、あるいはDOITの工房の木材を利用したが、どうも、弾音が優れなかったり、製作に時間がかかった。

此の製作法であると、和三味線用には溝ゴムパッキンを5ミリほど長いものを使えばよいので、至極簡単である。
まあ、実用新案の申請はしないことにするが、公知の事実となろうか。
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病床の師匠を見舞う
吾師 仲宗根 忠治先生
はじめの病院からいまの病院に転院されているが、もうやがて、18か月(通算)となろうか。敬老会会場の階段それもあと
数段で一階の床面というところで、転びなさっての入院であった。

沖縄古典音楽をご指導いただき、酒を、ことのほか、泡盛を好まれていたが、入院後は酒はもちろんだが、食事ものどを
通らず胃瘻の処置をほどこされ、咀嚼はまったくできないとのこと。寝返りさえできないとのこと。何か話そうとされるのか
口元を頻りに動かそうとなされるが、こちらも不覚にも涙が滲んでくる。

お側に長くいてはと5分ほどで辞去したが、元気でおられた当時の姿が脳裏をめぐって離れなかった。
スキャン第50回 富士松延治太夫
吾が延千代師匠の師匠、家元の芸歴50周年記念公演、横浜にぎわい座、開演11時30分、4月25日。

演目は、若木仇名草、婦系図、郭文章、国定忠治旅姿、世話情浮名横櫛、花魁道中、新内流し、籠釣瓶花街酔醒、不断桜下総土産など

終演は16時頃か。家元の肉声を聴くのが何よりの稽古の糧になると思う。当日は三線講師を務めてからしか伺えず、後半しか鑑賞できないのが残念!
雨夜花
今朝の琉球新報によれば、「那覇港と台湾湊が提携、人的、物的交流を深化」との記事。

嘗て、大船駅近傍に泡盛をおく居酒屋があった。月に一度石垣生まれの S氏がライブをやるので立ち寄ることがあった。

客層はさまざまであったが、なかに台湾大学に学んだ沖縄出身者が数人いた。私に華語でサンシンによるライブをやってく

れと頼まれたことがあつた。台湾と沖縄は目と鼻のような位置関係だ。かような交流がもっと増えることがよいと思う。

「うーやうふぇ、うーやうふぇ、---」  昨日、久々に弾奏してみた。あの居酒屋もいまは時代の波のそこに沈んでしまっ

た。
やっと分かった
 病院で受診相談にのってもらったところ整形外科がよいという。
かつて、腰が痛くて整形外科を、市の内外を問わず、訪ね歩いてみたものの、大腸がんで腸のそとにできた拳3個ほどの大きさのがんによる腰周辺への圧迫によるものであった、という苦い経験、辛く長い6年間の徐々に増大する傷みであった。

今回の受診相談は左手の掌の運命線?に沿った硬いしこりのことであった。右手にはそのしこりはないのである。この部位
を酷使することはないとの先入観が災いであった。左手の掌は利き腕側でないから柔らかいのである。右のそれよりも。

三味線の音締めは、毎日何度か行うが、それだと気づいた。掌のしこりは。これは、がんの転移によるものではないだろう
こんなことに気付かなかった自分は耄碌したものだ!
終えてほっとしたが
在りし日の母の幸せそうな笑顔
母の十三回忌も終えたので、参席の皆さんに渡した写真の中から、母の笑顔で気に入りの琉球がすりの着物をつけているものを選んだ。三人の曾孫に囲まれている姿は、幸せそのものに見える。

母もこの写真を撮られたときには思ってもみなかったことだろうに。左端のY(わが次男)が母のいる冥界にもう行ってしまうとは。
あの世の三丁目
最近、世上を賑わせている話題、腹クウ鏡手術。
私は、拳三個ほどの大きさで800グラムほどの癌が直腸の外にできていたのを摘出手術で取り除いてもらった。
略、10年ほどまえのこと。

その時は開腹手術であった。10万人に1人程度の羅病率の癌とかで、この種の癌の摘出手術を未経験の医師が執刀
することで、米国でその経験のある医師が指導医として立ち会って行われた。

癌の大きさからも腹クウ鏡手術はできなかったのかも知れないが、いまは、開腹でよかったと思っている。
なぜか、あの世の三丁目まで往ってきた感がするこの頃である。
かりゆしフェスチバル
スキャン_20150413
場所は、サンピアン川崎で開催。琉球舞踊、赤嶺精子舞踊研究所、入場券、前売り3,000円、当日3,500円
沖縄民謡、八重山民謡、オキナワンポップス
、エイサーなど
時宗総本山 遊行寺
JPG時宗総本山 遊行寺jpgdsc0089
今朝、スマホで撮影。桜も散り際になっていた。

本堂の脇に新しくお堂が出来ていた。踊り念仏とよぶものがある。うちわ太鼓をならしながら踊る様は沖縄のエイサーを
思わせるものがある。沖縄のエイサーもいまは興業化しているが、もとは、ご先祖を盆に際してお慰めすることにあったようで
ここの上人が全国を行脚して、踊り念仏を広めたといわれているから、エイサーの発端はこの遊行寺にあるやも知れない。
車上荒らし
2年前の3月はじめ、アタッシェケースが無造作に屋敷の一角、といっても錦明竹の叢の根元に置かれていたことがあつた。

今回は肩掛けバッグと大型財布が並んでフェンスの根元に置かれていた。実印やら預金通帳やらがバッグの口があいたままなのでみえていた。思い切って所有者の手掛かりはないものかと、なかを調べると名前や電話番号が判ったので電話で
これらを預かっている旨を告げて取りに来てもらい、ことは一件落着となった。

かのアタッシェケースのときは、ロックされていたので(数字の組み合わせ)近くの交番にとどけて持っていってもらった。今回
引き取りにきた方がいうには自宅近くの駐車場に車を留めておいて車上荒らしにあったそうな。財布のお金はすべてとられていたという。カードや通帳は足がつきやすいからもっていかなかったのではと。またアタッシェケースの場合も開かないので
困り果てて放置したのではとも言われた。なるほどそうかも知れない。
生後4か月
スキャン_20150406 (2)
画帳を整理していたら、孫娘Kの生後4か月の時の素描が見つかった。彼女もやがて芳紀17歳となる。

鉛筆画なので、線がやや薄いきらいがあるがなぞると線が生きてこなくなるので、そのままにした。

孫娘が結婚する時には、幼児の時の数枚の素描画をあげようと思う。

私は写真を見せられてその肖像を描くことはできない。自分の眼でみたものでないと。
ホームページ更新にあたり
ホームページを更新する時期も近くなった。

野村流音楽協会関東支部、川崎沖縄芸能研究会など、所属する団体の総会が、近いうちに開催され、新年度の行事、計画などが決まるからである。

6月には、神奈川県民俗芸能保存会からの表彰も受けることになったが、諸先達、諸先輩も大勢おられるなかの受賞は
些か、面映ゆい気持ちもある。恥ずかしながらといったところではある。

かような表彰などは、冥途への土産だよ、という声を偶に耳にする。そうか、冥途に行くにも手土産は必要なのだ!
むとぅやーぬおばーが
 本家のおばさんが、104歳で逝世なされたと、沖縄から電話があった。

三笠宮が本家を訪ねて来られたことがあったと聞いたのは20年も前の事。朝からサイドカーつきのオートバイの警官が
数台もあたりを警護していて、何事かといぶかしがる近隣を尻目に三笠宮が訪ねていらしたのは、本家が第一尚家の
尚泰久王の長男 安次富金橋の末裔にあたるからとのことであった。

ひんぷんが二か所あり屋敷の隅には香堂があって、お参りする人たち用に、一つは設けられていた。

おばーは三笠宮から何か尊い御物を頂いたらしいが、いまはそれが何であったか、知る由もない。
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