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琉球古典音楽 五木田音楽研究所 ~ ブログ ~
日々の出来事や沖縄に関する事等、つづっていきます。
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6月15日、この日だけはわが家にいてやりたいが
当日は、琉球古典音楽野村流音楽協会関東支部の45周年記念公演が開催される。

副支部長としても、沖縄本部からの来演される先生方に非礼のないよう畏まらねばならない気持ちが強いし、数演目の

出演も控えているが、実は、この日はわが次男 Y の祥月命日にあたるのである。三回忌を昨年執り行ったとはいえ

49歳の若さで肺癌で逝世した彼のことを思うと、せめてこの日だけは自宅にいてやりたいと思うのだが。

当日は「散山節」の独唱があるが、落ち着いて聴いておれる心境にはなれまい。

誠かや実か我肝ほれぼれと寝醒めおどろきの夢の心地

 まくとかやじちか わちむふりぶりと にざみうどぅるちぬ ゆみぬくくち

  <あまりに突然なこととて、真実のことか夢をみているのか、まったく夢見心地、放心状態>といった歌意。
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琉球古典音楽、舞踊公演
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 昨日、琉球古典音楽の「野村流音楽協会関東支部」の創立四十五周年記念公演の広告チラシが刷り上がった。
沖縄の本部からも十数名の先生方が来演いただく予定。

 かの岡本太郎画伯が、「忘れられた日本ー沖縄文化論」のなかで絶賛している琉球舞踊のもつはげしい情念を凝縮した静と動の魅力に、誰もが魅了されるのではないか。

 湘南界隈の方々は、0466-25-0744あるいは090-3016-0744 五木田まで御照会を。

 
鶯の初鳴き
 今朝、鶯の初鳴きで目が覚めた。唄三線を習い初めたころを思い出す。

何とか、人前で弾奏できたときの感慨に近い、そんな鳴き方であった。

鶯も、初めは地鳴きというのか、巧くさえずれない。

 本嘉手久節 が想い出される。

 深山鶯の節や忘れらぬ 梅の匂い忍で ほけるしおらしや

そうだ!沖縄では亜熱帯なので、梅が咲き誇るころには鶯もうまくさえずることができるのだ。
再び 新内を
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 松竹のホームビデオ「鶴八鶴次郎」を見た。正確には三度目である。飽きない。見るたびに新しいものが見えてくる。

高田浩吉、淡島千景、小山明子が演ずる新内をめぐる男女の芸に対する情熱と恋模様が活写されている。それにしても

高田、淡島の三味線、お二人とも故人となられているが、これほどの弾き手は、現今の俳優では皆無ではなかろうか。

江戸時代には、新内を聴きながら、訳ありの男女の心中が続出したという話は、満更、作り話とは思えなくなってくる。

新内が falsetto(裏声)で謡い語りをと言われる所以は、曲想に沿うには、そうするよりほかに適切な方法がなかった

からであろうか。

言語能力
「しゅんそくせん」という言葉があるが、漢字にすると何が正解なのだろうか。

パソコンでまず 瞬足船 とでてくる。駿足船でも良さそうだが。駿速船でも悪くなさそう。

辞書を引くことが少ないので、因みに引いてみる。駿足船が当を得た言葉であろう。

 私は造語といわれても瞬速船のほうがピッタリするのだが。

「ファルセット」という言葉がある。原語は FARCET と思いきや FALSETTO であった。

パソコンに慣れるに従い、言語能力は低下、いや退化するものかも知れない。
今だから
少し新内について記してみたい。なぜ、新内を習おうと思ったか、それは新橋の沖縄料理店に始まる。店の三線を借りて

弾き歌いしていると、遠く、あるいは近く三味線の音が聞こえてきた。それが、今にして思うと新内流しであった。

かなり年輩の男性で着流しで「一曲いかが」などと店を覗き込む。こちらも素面ではないから酔いにまかせて数曲を

お願いした。なぜか、その方は eau de cologne TABU の香水を紛々とさせていた。意外な香り、新内にふさわしくな

いなと思った。わが師匠にたずねるとその方は大分前に逝世されたとか。新内は上調子、本調子、謡い語りの三部構成で

夫々が、阿吽の呼吸で、しかも謡い語りが裏声であるところが独特な哀感を醸し出す。どことなく沖縄の古典音楽の発声

を習っていると、節回しなどは覚えやすい。古典音楽は裏声は厳禁であるが、新内は裏声でないと曲想が崩れていくよう

である。古典音楽の発声を女性に指導する際の甲高い声帯の使い方が、新内の謡い語りに役だつとは意外であった。
新内の師匠の、端唄での襲名祝賀会
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 今月の13日、われらが新内の師匠の、端唄での襲名披露が、執り行われた。

日頃、新内を教えていただいているが、師匠のご自分の芸域を更に、広げられた心意気に拍手、拍手である。

新内も、端唄も、江戸を中心に発展、継承されたものかと思うが、粋な心はどんなに世がうつろっても失いたくないも

の。さて、件の祝賀会、屋形船遊び、おさらい会などなど、老骨に拍車をかけるには、些かつらいところ。
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撥、T さんに作ってもらったものだが、未だに愛用している。

材料はフェノール樹脂で、高電圧用のそれで茶色、黑色のそれを張り合わせ加工したもの。

琉球王朝の紋章部は、金粉を封じ込めてある。普段は畏れ多くて使えないが、畏まった場面では使うこともある。

手巧な T さんであったが鬼籍に入られて何年経ったものやら。春先の今日の雨はなぜか、こんなことを思い出させる。

うりずんの頃
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 時は、まさにうりずんの頃、かーちべーの吹くちょっと前。「沖縄の光と風」と題した琉球舞踊公演が演じられるとの

案内を受けた。5月15日(木)18;00~ 横浜市鶴見区文化センター、サルビアホールで開催される。

特筆すべきは琉球舞踊古典女七踊が一挙に上演されることだ。
「波の上」
痛ましい海難事故が報じられて数日を経る。

それにしてもわが日本で建造された船が韓国に売却された、その旧名は「波の上」だという。

憶えがある。初めて沖縄に渡ったとき、西鹿児島から乗船したのがこの名前の船であった。

もっとも、その時は「波の上丸」であったが。たしか、「波の上丸」は東南アジアの国に売却されて就航していたが

やはり、定員過剰のせいとかで転覆したとのニュースを聞いたのは10年ほど前であったと記憶するが。

 往時は俊足船との定評があったが、安全が何よりとつくづく思う。
初めての写真
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退色しかけている写真、初めて手にしたキャノンのカメラ、人に教えてもらいながらの操作なので、データは皆無。

モデルは Y.A 場所も何処であったか思い出せない。パソコンのスキャンは有難い。写真の傷み、退色を進行させない

で保存できるから。わがスケッチブックもボールペンやマジックインキで描いたもので痛んでいるものが多い。

スキャンで保存をはかろうと思う。今朝、柘榴の古木の新芽が朝日の逆光をあびてとても美しい光景であった。

スマホで写真を撮ったつもりが撮れていなかった。あと数日の間が撮影の好機だと思うが、さてどうしたものやら。
伯父
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昨日、三線の師匠のお見舞いに、川崎の病院を訪ねた。昨年の秋から半年余りの入院生活、今は胃瘻による栄養摂取。

なかなかお辛そうにお見受けした。90歳の師匠はお顔の色艶は良さそうに見えるが、歩行もできず、寝たきり状態。

伯父は104歳までの天寿を全うされたが、上の85歳の生年祝いのときは健康そのもの、その後逝世される直前まで

元気でおられた。脚だけは少しおぼつか無く杖をされてはいたが。師匠や伯父にくらべれば、自分などはまだまだ、

なまわらび と思いつつも髪の白いのが多くなったなと感じるこの頃。
昭和九年九月十四日勤務演習応召
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 伯父、比嘉 正さんの乗馬姿の写真、熊本,車留(一文字)重兵第六聯隊にて と裏書がある。

モノクロで傷みのかなり進んだ写真だが、スキャンをして残しておいてあげたい。104歳の生涯で兵役に3度も

ついたという。敵にこちらから攻撃を仕掛けたことがない、いわば、専守防衛で自分が危ないときにのみ、対抗したと

静かに語られていたのを思い出す。
伯父85歳生年祝い記念写真
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伯父、比嘉 正さんが85歳の祝いの写真が出てきた。104歳まで天寿を全うされた方である。

自分も、85歳は目前といってよい年齢だ。伯父に倣って酒食を節制したいとは、思うがなかなか、それができない。

この写真がどこかにある筈と探しているうちに、様々な退色しかけた写真がみつかった。早くスキャンをして保存を

しておこうと思っている。
とかとみかぢち
<つくぬ かいしゃや とかとみかぢち> 月の美しいのは、十日と三日月すなわち十三夜の月だよ と唄うのは

月の美しやー節。花は盛りに月は隈なきを見るものかはとは、兼好。ところで葉桜になってもそれなりの風情はあるも

の。我が家の八重桜、伸び放題に隣の市営広場に伸びたので、昨年、剪枝してしまったため、僅かしか、花をつけていな

い。2トンも切り落としてしまったから仕方ないが、例年の庭の風情は、台無しになってしまった。
とかく学者は
やさしいことをむつかしく表現することに意をおいているように感じる。

真相、真実は一つであろうに。風邪で終日、臥床している私はSTAP細胞で終始している報道番組によって、益々

症状がわるくなった。頭が単細胞だからかも知れない。

<老練な教授のように>難しいことをやさしく解説するお方はいないのだろうか。
終日、臥床
やられた!インフルエンザにである。

終日体を横たえているのも楽ではない。鼻汁もいつになく多く、つらい。頭が痛い。医者からもらった薬も置き薬も

薬効はかわらない。薬効が切れるころになると頭や体のいたるところに鈍痛感がうっ滞する。

麻薬患者の禁断症状もかようなものかもしれぬ。

テレビも新聞も見る気がしない。なにも食べたくない。のどだけが水を欲しがる。酒は飲みたくても飲まない。

何種もの薬を飲んでいるから用心している。これが又つらい。
初めての
何でも、「初めての」ものは嬉しいものだ。私にとっての、それはスマホである。76歳にしての初物はなかなかに

扱いかねる代物ではある。飲み屋でよくスマホに自分の孫を撮影して見せてくれる相客がいる。私もそれに倣って

撮影した。愛する孫娘。今はもう天国に行って3年になる次男が、私たちに残してくれた忘れ形見。その孫娘も

今日は高校入学式の日。おめでとう!スキャン_20140405
好きな言葉
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昨日、この中華飯店に行った。数年前、ここで三線の弾奏をしたことを思い出す。その記念にと町に出て本を求めた。

その扉に書かれていたのが「能間世人之所忙者、方能忙世人之所間」 張潮    漢文のよく判る人にたずねたら

凡そ、こんな意味だそうである。 世人の忙しとするをよく間にする者が、世人の間とするところを忙しとする との

こと。その時以来、この言葉が気に入っている。私が三線を習いはじめた頃は、師匠や兄弟子に珍しがられたものであ

る。今は新内を習い初めて3年、何はともあれ、会長として恥ずかしくないように稽古を積みたいが、時間が逼迫して

上達は至難だが。師匠が美人!ここだけが私にとっての救い。
櫻花の頃
我が家からほど近いSさんが、隣人に付き添われて両手に杖をついて我が家を訪れたのは、ほぼ5年ほど前であったか。

櫻花の咲く頃であった。奥様がその前年に逝世されたので近隣の方々を招いて自宅の庭にある古木の櫻花の下で「偲ぶ

会」をやりたいが、沖縄の歌三線を演じてほしいとの趣旨であった。染織界の大御所の芹沢の手による沖縄古典音楽の

歌詞のかかれた織布などの逸品の飾られた大きな、部屋で弾奏した。広すぎて寒いほどであった。花見とて「さくらさく

ら」を弾奏して参会者に歌ってもらった思い出がある。件の織布の「かぢゃで風節」も演じた。「浜辺の歌」「佐渡おけ

さ」等々。仄聞するところでは、そのSさんもその翌年104歳の天寿を終えて奥様のおられるところへ旅立たれたそう

である。花見のころになると、思い出されるSさんである。

stap細胞をめぐって
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湯沸し電気ポットの異常
 食卓に置いてある電気ポット。底面の周辺から水が滲み出ていた。取っ手を起こして持ち上げてみた。

総量的に湯飲み茶わん半分ほどの水が滞留していた。ポットを求めて3年ほど経つが新しく求めてこようと思う。

電気と水は何よりも絶縁が大事。感電事故や火災事故になりかねない。

 家内はよく、水位線より多く給水するので、注意をしていたのだが、それが原因であろう。食卓には汚れ防止の

厚手の樹脂のシートを敷いておいたこと、ポット底面に樹脂の座板を敷いておいたことが幸いしたかも知れない。

 接触抵抗、ヒステリシスカーブ、突入電流、フレミング、磁気飽和,絶縁抵抗など、昔ならった電気用語を思わず思い

出した。どことなく、女性のもつ特性を言い得てるかも!
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