琉球古典音楽 五木田音楽研究所 ~ ブログ ~
日々の出来事や沖縄に関する事等、つづっていきます。
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聊か気になること
今朝の琉球新報によれば、昨27日、「首里城祭りで册封儀式を再現」とある。同紙によれば、国王の
即位する際の往時の琉球王国最大の行事であったという。

中国皇帝から派遣された使者、册封使が琉球国王を任命する様子を再現したものであるという。古典音楽の
荘厳さを感じさせる、あるいは華語で何やら奉祝を述べている、様々な様子が収録されていた。

中国との関係は、尖閣列島を中心に、良好な関係には程遠い関係である。この時期に琉球は中国の属領であったかの印象が残るのは、史実とは異なるが聊か残念なことではある。

三線の楽譜の圧点名、往時の中国のそれを流用していることもある。琉球王朝の高官は皆、唐名をも、併せ持っていたと言う事実、例えば名護親方は程順則、具志頭親方は蔡温というように。

中国が斯様な行事を見たら、あらぬ妄想を掻き立てないだろうか。册封とは、王冠を授けにきたことの謂だから。
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あの甥が
 酒好きの彼であった。五十六歳であった。独身であった。どちらかといえば、両親にはあまり似ていなかった。
誰に似ていたのだろうか。まあ、彼の祖父に似ていたかもしれない。

 甥といえども、近隣にいたわけではないので会話したことも数回しかなかった。

 その彼が、数日前に逝世した。咽頭がんで声帯までもて摘出せざるを得ない状況であったらしい。見舞いにも
数回いったが、会話ができなかった。点滴で栄養の補給を受けていたが、最後は吐血をしたと聞く。

 吾が次男を肺がんで一昨年亡くしているので、憐れむ気持ちも一入である。医者は入院時、余命一週間と言っていたが略40日間持ちこたえた。

 男三兄弟で彼は三男であった。彼らにとって伯父と呼べるものは私ほか一人を残すだけに成っている。
従兄弟会なるものは、沖縄ではよく聞く言葉だが、核家族化が進むこちら、本土にあっては、あまり聞かれない。

 斯様なつながりは、「一人ではないんだ」の気持ちを育成し、長寿を促すことになるのではなかろうか。

 
邦楽
 昨日は、会飲の約束時間まで、間があったので音楽関連店を覗いてみた。

自分は新内を習っているので、邦楽の表示のある棚の前に行ってみた。そこには邦楽と呼ばれる、常磐津

小唄、端唄、等々が当然あると思っていたが、それらしいものはただ一つとしてなかった。

 洋楽以外の曲を指して、しかも大方の方々に好まれる曲を邦楽と分類されていたのだ。かの、ドナルド

キーン氏が、日本文学に魅せられ、浄瑠璃にウンチクを傾ける姿は、Lin Yutang風にいうなら

日本というゴミ箱を漁っているうちに浄瑠璃という宝石を見つけた。宝石店のショウウィンドーでなく

ゴミ箱の中からである。Only those who take leisurely what the people of the world

are busy about can be busy about what the people of the world take leisurely.張潮
26号台風余波
 我が家の庭に、錦明竹の叢がある。その中に雀が巣くっていることは鳴き声で知っていた。

今回の台風のあと、何か毛玉のようにみえるもの、4~5センチほどの球状であったが二つ地上に

落ちていた。竹叢のそばであった。よく見ると、雀のひなであったが、死んでいた。野良猫にでも

食べられては可愛そうだと思ったが、車を待たせていたので、そのままで街に出かけた。数時間後

帰ってみると、跡形もなく、消えていた。通学路に面した一角なので、小学生あたりがかわいそうに

思ってどこかに埋葬してあげていればよいがと思った。雀にしても想定外の台風であったようだ。
樹液か、木の涙か
樫の木が枝を張りすぎて、駐車場の車に迷惑かと、伐採をした。枝とはいえ、直径20センチ程もある。

のこぎりを入れて略、中心部にかかったところ、突然、水液状のものが滴下して、というより噴出して

きてなかなか止まらなかった。梯子の上に乗っていたものだから、その噴出をかわしにくかった。

この時期にあれほどの、そう1分間ほどもの噴出は珍しかろう。樫の木もえだを切られて痛かったのかも知れぬ。

わが町は 大鋸 だいぎり と呼ぶが、昔は大木が鬱蒼と繁茂していた東海道道筋に位置している。その大木を

切り出して 玉縄城や、小田原城の造営材にしたと聞く。地名は、それに由来すると聞く。軽トラック1台分

ほども伐採。今朝は腕が痛いが、樫の木も今頃、痛い痛いと泣いていることだろう。



どうも釈然としない
自治省管下の消防庁。「防火扉の動作までは検査対象外である」と仰る。

煙感知器、消火栓は消防庁の検査対象なのだと。人の命がかかっていることなのである。役人仕事の

何というか、頼り無さか、馬鹿さ加減というか、話にならない。防火扉は建設省の管下だそうな。

 消防車が三十何台出動して消火に当たったらしいが、あの規模の火事で消防車どうしで邪魔にならないのだろう

か。亡くなられた方にはご冥福を祈るばかりだが、庶民感覚では、消防機能の、人命救助機能の検査であれば

消防庁にそれを一元化すべきでないのか。建築が竣工なってから何年経っても防火扉は消防にとって<聖域外>

とする感覚は、私はどうしても首肯しかねるのだが。

若木仇名草 蘭蝶
富士松延千代社中演奏会
 云わねばいとどせきかかる、胸の涙のやる方なさ「アノ蘭蝶どのと夫婦の成立、話せば長い高輪で
一つ内に互いに出居衆 縁でこそあれ、末かけて、約束かため身を固め世帯固めて落ちついてアー
嬉しやと思うたは、ほんに一日あらばこそ

 弾き語りというよりは、弾き謡いにちかいか。初心者なので 蘭蝶、若木仇名草の前半までだが
先輩方の前で、家元の御前では、相当に緊張する。相方の延千代師匠、ほか、お二人にも感謝感謝。

 自分の声音が、今は亡き天国のわが次男 Y に聞こえて欲しいものとて謡った。

謡終えて後、家元から講評をいただいた。ありがたかった。今後の稽古の糧に、その言葉を胸の
奥底にしまっておこうと思う。
椎の実
運動不足なので、できるだけ歩くように心がけている。特に、重い荷物、例えば三味線ケースなどを持ち歩くとき

とか、急がないときは我が家から藤沢駅まで約2キロは下り坂なので歩いている。途中、神社の境内の椎の実が

コンクリートの歩道に、掃き寄せられるほど落ちているが、誰も拾い集めない、踏み敷いて歩く。随所に粉々に

なっている。自分が小学生の頃は、母の里の裏山に、この椎の実を拾い集めておいて、囲炉裏の火で炒ってたべた

ものであった。そういえば、自分が育った旧家には大きな火鉢があって暖をとっていただけであった。炭火は

大切にして、使わないときは灰を薄く被せて<埋め火>としていたことを想い出す。<一粒の麦、地に落ちなば>

などという言葉を想い出す。秋は色々なことを思い出させてくれる。
琉装
  孫娘の花嫁姿を見るまでは長生きしなければと思う日々ではある。

その時はこのような琉球の正装、はちまち、くるちょうい うふうーび で祝ってあげたいと

ポーズをとってみた。この装束で祝いの古典音楽を弾奏してあげることが夢である。

 その日までに新内もしっかり習得したいもの。明日は新内のおさらい会だが三線の講師を務めてから

なので、なかなかに忙しい。かたや、甥が明日をも知れぬといわれてがんと闘病の日々を送っている。

 入院中だが声帯を摘出のため、声が出ない。声を出せる、それだけでも大したことである。
水は低きに流れる
唖然とした。福島原発の汚染水タンクの水漏れの件。傾斜地にタンクを構築したが水位計は勾配の最上位のタンク

につけておいたとのこと。

小学生でも判る理屈である。最下位のタンクがオーバーフローするのは当たり前ではないか!

頭脳明晰なお方というのは、高等数学は理解できても、初等数学がわからないのだろうか。

優秀なお方というのは、簡単な事柄を難しく説明するが、難しいことを簡単に説明することはできないらしい。

コントロールの本来の意味すら理解していないお方が多いのには、再び仰天してしまう。
金木犀が
庭の金木犀が花をつけている。まだ、黄金色までにはなっていない。やや、白っぽくみえる。

夜の闇をぬって流れてくるあの芳香は、晩秋になったなと感じさせてくれるのだが、そこまでには

至っていない。中国酒に<桂花陳酒>というのがあるが、この酒は、金木犀の花弁を集めてその香りと

色を酒に醸成したものだと聞いたことがある。モアリさんという方だった。日本語が達者であったがその

方が中国人特有の訛りがあるのに気がついて、話が発展してのことであった。彼は今は日本にいない。

今年の春、中国に帰った。イラン国境沿いのふるさとで蘭を栽培して暮らすと言っていた。二人で

中国語で歌った<草原情歌>。今は金木犀の開花でモアリさんとこの歌を想い出す。因みにモアリは

マハムド・アリを呼びやすくする愛称のようであった。彼は鍼灸で生活をささえていた。
もしかすると
 衣替え、今日からその時期といわれる。

地球温暖化といわれる昨近、この言葉は実感を伴わない。昔は陰暦であったが、それによれば、11月3日

文化の日が陰暦10月1日にあたる。その頃が、衣替えの実感があるのではと思ってしまうが、おしゃれの感覚は

季節の先取りをして楽しむこと、それが要諦であることに違いはなさそうである。さて今日は何の袖に腕を通そう

か、迷うことに、迷うほどに楽しみが増すのも、この節季のもたらす玄妙な移ろいである。
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