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琉球古典音楽 五木田音楽研究所 ~ ブログ ~
日々の出来事や沖縄に関する事等、つづっていきます。
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連写機能を
 カメラに疎い自分だが、こんなに進歩しているとは露だに知らなかった。

沖縄の写真館で、黒朝衣とはちまちの琉球王朝の正装で撮影したもので数日前のブログに掲載済なのだが

同時にCDをもらってあるので開けてみると同じようなポーズの写真が何枚もある。撮影の際、場をかえて

二ポーズ程しか覚えがないのに。写真に詳しい人に尋ねてみると、シャッターを押すと、微小な時間で連写

できるのだと言う。古典音楽の節入というのは、大事な要件の一つなのだが声音を、このカメラのように解析し

それが、グラフィックに可視化できることも、そう遠くなく開発されるような気がするのだが。a href="http://muukuudunakayara.blog.fc2.com/img/2013082308215019e.jpg/" target="_blank">琉装
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相対湿度予報は
 今日は爽やかな日和。日差しは強いが、日陰に居れば爽やかである。
相対湿度が低いからだと思える。

 天気予報に、この湿度予報を取り込んでくれると有難い。洗濯物の乾き方はもとより、付ける肌着の
種類にも関係するからだ。

 沖縄では、亜熱帯でありながら比較的に、爽やかさを感じることが多いのは、沖縄が名前のように
沖に縄が浮かんだような島であり、東シナ海と太平洋に行き交う風が、常にあるからではなかろうか。

 内陸部のようなところがない、高い山もないなどフェーン現象などもないはず。

気象庁の予報に温湿度予報を盛り込んでもらいたい、と切に思う者である。
幾分か
 このところ、朝は汗をかくほどではなく、しのぎ易くなってきた。秋の気配を感じる。

と同時に、朝が一段と眠さを感じるのは歳の所為だろうか。沖縄では、眠い ということを

にーぶい というが、どうも五感が鈍くなることをも示唆しているようで面白い。暑さも歳のことも

あるかもしれないが、日頃、空腹感がないのが気にかかる。食欲の秋 など縁遠い話。沖縄で

ぐぁっちまやー というと腹を空かせた猫 の意だが、そうした感も全くないのだ。さりとて、体のどこかが

悪いのかといえば、ベーカーズ血腫という脚疾ぐらいなのだが。不摂生がたたって体にカテーテルを入れられてい

たのが1ヶ月間ほど。それが外されたのが一昨日。そうだ!そのため、酒を節制していたのだが、これで解禁だ!

 今日の夕刻、佳人と飲む約束をしていたよ!元気が出そうだ!
親子孫三代
琉装
孫娘14歳
家族 010
親子孫三代の琉装。最上段の写真はこの8月12日、沖縄は与那原で撮影。
最下段の写真は吾が亡母。結髪はすべて自毛であった。中段の吾が孫娘Kは昨年14歳で撮影。いずれの
写真も沖縄は与那原で撮影。
<白毛お年寄りやよ 床ぬ前に御座てぃよ 産子歌しみてぃよ 孫舞方よ>ーーー祝い節 
遅ればせながら
 まふっかー とは沖縄で暑さの真っ盛りのことを言う。それを嫌って朝早く墓まいりに行ってきた。

お盆の最中、沖縄に行く必要があったので、施餓鬼法要も妻に任せっきりであった。墓所は菩提寺の

境内にあるが、小高いところにあり、階段を登らないと行けない。登るときにセミが地面にいたが

脱皮したばかりで動けないのかなと思いつつ、お参りを済ませて帰りに再度セミを見てみると、なんと

交尾していた。脱皮の殻と見間違えていたのだ。セミは地中に数年、地上にでて僅かな命だと聞いて

いる。足音をたてないように、そっと通り過ぎた。三年忌をすぎた次男にあの世で彼女ができたのかも

しれない。セミがそれを知らせてくれたのかも。
棕櫚
わが家の庭に棕櫚の木が数本あるが、棕櫚の幹の周りに生える繊維の手入れをしないせいか、樹勢がなくて立ち枯

れてしまった。切り倒して一年ほど経つ。市当局に照会すると、樹木扱いではなく可燃ごみとして50センチの長さ

にして搬出してくれという。およそ、20本にはなろうかと思われる。

 かつては祖父が、つるべ井戸のシュロ縄を編んでくれたり、藁ぞうりにこのシュロの繊維を混紡して水を含んで

もくずれにくいものにつくってくれた。水田に稲を植えるときには、このシュロ縄が水に強いので、重宝された。

そんな事どもを思い出しながら、涼しくなったら裁断して、ごみとして出そうと考えているが、あの祖父も、やが

て55回忌を迎えるかと思うと、歳月人を待たず の実感、一入である。
夏祭り
 この24、25日の週末は我が家の隣地の公園で夏祭り。例年、同じ曲目の数曲を繰り返して、しかも

音量を上げてかけるのには閉口する。屋台店が我が家の塀越しに並ぶので、調理の煙や匂いが流れてきて

大弱りである。年に一度のこととて片目を閉じて、我慢しているが、基地問題ではないが、どこかに

持って行ってもらいたいものだ。この公園の向こう側はマンションだが町内がことなるので余計に迷惑な

ことであろう。人々の嬌声や盆踊りのための音楽騒音がマンションの住人にも、きっと辛いことであろう。

我が家に対する騒音度は、マンションの壁面から反射してくる分、増幅されて聞こえるわけである。

猛暑に加えて、猛騒音である。
T-シャツ屋で
 沖縄は那覇のまちぐぁでの出来事。時計の電池が切れてしまった。

その時計は、琉球古典芸能コンクールで三線の最高賞を受賞した1994年に記念に求めたものであった。

それまではひげぜんまいをまくリュウズ式を愛用していた。世の趨勢かもしれない。ぜんまい式より

電池式が多くなっている現在、あのセコンドの音はレトロながら懐かしい。電池の切れたのに気づいた

のは三線屋にいる時だった。店の主人が「取替なら近くでできるよ」と連れて行ってくれたのがT-

シャツ屋であった。店の奥に案内された。取替は5分ほどで終えた。取り替えてくれたひとは、もと

時計屋であったという。これも世の趨勢かもしれないと思った。



別れ暑さ
 残暑 という言葉には、まだ居残っている暑さ という感じが潜んでいると思われる。

沖縄では、それを<わかりあつぃさ>と呼ぶ。なにか、粋な言葉にすら感じるのだが。沖縄の人たちが

去りゆく暑さに聊かな愛着をもって接しているかに思える。

 今は亡き母が「垢も身の内だよ」と言っていたことを想い出す。過日、沖縄で小さなお店、

アンダーギーとコーヒーのお店だが、看板に<ゆくいどぅくる>とあった。まあ、お休みどころと

いったところか。そう、この世の中、何かと気負い立って生きていかなければと思いつつ、

<ゆくいどぅくる>がたまにはあったほうが良さそうである。このお店の主人は若くて美人、しかも

琉装をされていた。それになかなかの 唄者(うたしゃー)と聞き及んでいる。
盂蘭盆会法要
 我が家の菩提寺は、毎年8月12日と決まっている。その末寺のご住職がこの法要に数人参席される。

その中にH寺のご住職がいられたのだが、近年お姿を見ない。この方には私たちの沖縄芸能を、お盆にご自分の

寺にて檀家の方々に見せたい、とのご趣旨で招かれたことがある。同時にジャズメンを呼んで<動と静>

と題した催事とされた。本堂の回廊を舞台に見立てて演じたが観客は400名近く来られた。境内一面、折りたたみ

椅子でうめつくされた。この日ばかりは、仏様たちもうるさくて、この世に戻ってくるのではと思われるほど

であった。境内周辺の方々も、左様な催事を楽しみにしているんだそうな。あの洒脱なご住職は、いまどこに

おられるのだろうか。12日が近づくといろいろなことが回想される。
孫娘Kが
 昨日の朝、孫娘Kからの電話があった。孫娘は今、15歳。中学3年生で受験勉強や、部活動といっても

砲丸投げだそうだが、なかなかに、いそがしそうだ。顔色もかなり、陽焼けしていた。会った場所は

菩提寺の山門まえであった。孫娘の父親、わが息子(次男)の眠っている墓へお参りしたいとて、

そこで会って、妻と3人でお参りをした。孫娘は自分の母親と横浜に住んでいるのだが、なんとか

暇を見つけてでてきたらしい。私は先約があり寸時の会話であとは妻にまかせたが、ますます、娘らしく

成長している姿を、脳裏に焼き付けて帰路についた。後で、妻から聞いた話だが、孫娘はダンスが出来る

高校に進学したいと漏らしていたらしい。沖縄なら琉球舞踊であろうが、はてさて、まさか、sosial dance

それともbelly dance? 少し気になるところではある。





「腹力」
わたぢから と読む。琉球古典声楽について記述された本が出版されているのを、インターネットの

沖縄古典音楽のサイトの画像から検索して知った。読んでみたい。説明によれば、その、わたぢから

と言われていることを科学的に分析し、老若男女を問わず古典を歌いこなすための導入書です とある。

 なかでも、<琉球古典声楽における呼吸法(ぢゃんな節)>に言及されている。著者は野村流古典

音楽保存会師範、仲村善信先生。<琉球古典音楽の理解の仕方><女性と琉球古典音楽>

<琉球古典音楽(野村流)の発声口形と表情>などにも言及されているようだ。

新内「明烏夢泡雪」
今日も忙しい。師匠 富士松延千代の<あけがらすゆめのあわゆき>の演座を鑑賞。あとは打ち上げに

誘われたものの、体調が不備であること(カテーテル装着)に加えて沖縄芸能研究会の理事会が、夕刻から

あるので、相当に辛い。カテーテルが下腹部に装着されているので角帯を締めにくいが、まさか、スーツ

では、場所柄、不相応かと。新調した小千谷に袖を通してみるか。三味線屋から新品の象牙の撥が入ったので

どうかなどとも言われている。新内の会場と同じビルで階違いの店である。よく居眠りをしている店主だが

それでいて、憎めない男である。早めに行って立ち寄ってみるか。そぞろ、気ぜわしい日曜日の朝である。
盂蘭盆会、施餓鬼法要
 毎年、菩提寺、三島山感応院の題記の件は参席していたが、今年はそれができなくなった。

沖縄で「琉球古典芸能コンクール」があり、門下生が、最高賞、優秀賞、新人賞に受験をするため、

日程の都合がつかなくなった次第。最高賞の合格率は例年、30%前後であることから見ても、厳しい審査

であることには変わりない。今年は、野村流関東支部から23人がそれぞれの賞に挑戦する。亜熱帯の沖縄

で暑い暑いコンクールになる。名護親方・程 順則 の言葉を借りて、受験者諸氏に贈ろう。

「勝り不勝りや 肝からどぅやゆる 念ぬ入る者に 下手や無さみ」

<すぐりぶすぐりや ちむからどぅやゆる にんぬいるむぬに ふぃたやねさみ>

(物事の上手下手は、その人の心がけ次第である。念を入れる者に下手はいない。)

ジョージ・プライス コレクション  若冲
NHKテレビ、<クローズアップ現代>で江戸の絵師、若冲を採り上げていた。昨夜の番組であった。

プライス氏の言に傾注した。「誰が描いたかではなく、その絵画の何に感応できるか」でその絵画の

価値が決まる といった趣旨のことを述べておられた。氏のコレクションはその観点から蒐集されたものであろ

う。米国には、日本に帰化したドナルド・キーン氏もいる。日本の古典文学や文楽にまで、我々よりもよく

理解されているようだ。単なる知識の寄せ集めでなく<見識>、それを持っておられる。私もこの七十五歳にして

浄瑠璃の分家的な、新内を習い初めている。語りが、複雑な節まわしだが、どこか沖縄古典音楽のそれに近い

ものを感じている。ただ、声音は沖縄古典音楽では御法度なファルセット(裏声)で語る。

 雨の夜などは、ことのほか、この新内の三味の音が哀れにも、美しく感じられるのは歳のせいであろうか。
「沖縄に学べ」
 唄、三線を習うことは、簡単ではない。特に やまとんちゅ にあっては。

麻生大臣が「ナチスに学べ」のような発言をし物議を醸しているが、唄、三線にあっては、島くとぅば

をしっかり学ぶべきだと思う。そのた、風俗、習慣、物の運び方などなど、沖縄に学んでこそ、得られる

情操、それを持って、唄、三線に臨むべきだと思う。かのLin Yutangの一説を想い出す。

 Apart from all this, subjective factor is always as important as the objective.

Philosophy comes in as a way of changing man's outlook and also changing his

charactor.
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