FC2ブログ
琉球古典音楽 五木田音楽研究所 ~ ブログ ~
日々の出来事や沖縄に関する事等、つづっていきます。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
馬の骨
 さすがドクターと言われる所以である。一目見て、「これは馬の大腿の一部だよ!」

私は、庭の一角から偶々見つかった骨をみて、採寸、スケッチをし、秤量してある診療所のN先生を

たずねて鑑定をお願いした時のことであった。人骨でないことがわかって、安堵したことを想い出す。

その先生は大学時代、馬術部で活躍なされていたとのこと、道理で詳しかったわけだ。

 20年余以前のできごとではあるが、きのう、その先生の訃報に接し、そんなことでお世話になったことを

思い出した。
スポンサーサイト
読経は
 酒席での閑談から知ったことがある。

かつて、町内の老人会に琉球舞踊と歌三線で興を添えてくれないかと、私に依頼されてきたことのあるKさんが

最近逝世されたとのこと。教えてくれたのが隣席にいたSさん。SさんはKさんと隣接した家にくらしている。

 葬儀の際に、導師を務められたご住職の読経の声が弔問客によく聞こえなかったそうである。喪主に近い

世話役が、その事をご住職につげると「お経は亡くなられた方に対してあげるものです」と一蹴されたとか。

 現今、お経を朗朗と唱えられたにせよ、意味がわかることはなかろう。朗朗と唱えられれば、亡くなられた

方が成仏できるのか?今はただ、Kさんの在りし日の謦咳を偲びご冥福を祈るばかりである。
琉球古典芸能コンクール
 「琉球古典芸能コンクールは、公正厳格な審査によって卓越した新進芸能家を見いだし、琉球古典芸能界
への登龍を促して、琉球古典芸能の正しい継承と芸能文化の発展に寄与することを目的とする。」

 コンクール実施要項の冒頭の、趣旨説明であり、主催は琉球新報社である。実施時期は凡そ、8~9月で舞踊、三線、箏、太鼓、笛、胡弓と多岐にわたる。

 思い返せば、私が三線の最高賞を拝受したのは、19年前の1994年のことである。控え室で紋付袴に着替えだしたら「え!貴方出るの?」と何人かの人に訊ねられたことは、今でも、はっきり覚えている。<しまじゅら>
でないからであったろうか。

 今年は我が関東支部からは、新人賞10名、優秀賞7名、最高賞6名が受験する。合計23名だが沖縄出身者は
6名しかいない。各位の精進と健闘を祈るや切である。

 泰西の哲人も言っている。<欲するものをなし得ることではなく、なし得るものを欲する>ことだと。

暴言も暴力も愛のうちか
 最寄駅のコンコース。50歳前後の母親らしき女性が大きい声をあげて15歳頃とおぼしき娘を叱り飛ばし

はてはその子の顔を殴打している。その子の顔を見るとやせ細っていて弱々しい。どうやら何か精神的にも

弱々しい、いじけた表情に映る。日々いじめられ続けているように映る。眼が何よりもそれあるを訴えていた。

怯え切った眼の色であった。場所柄、通行人が多い。誰もそれを見過ごして歩いていた。

 近くで買い物をして帰路につこうとすると、その親子が今までとは反対方向に歩いて来たが、その子は

母親から逃げるように人ごみの中を小走りに消えていった。ひとの見ている前で、あれだけの暴言、暴力

家に帰ったにしても、あの子の安住の場はあるのだろうか。何とも言えない気持ちが残った昨日の出来事。

通奏低音
 耳鳴りではないが、我が次男の逝世以降、自分の頭の中に、通奏低音が鳴っている。

夜、手洗いに立つと、そのまま寝付けなくなってしまう。日中、睡魔に襲われる。

 眠っていても熟睡とまではいかない。いわば半眼半眠状態だ。

今日のように雨模様の日は、朝から睡魔が襲ってくる。妙薬はないものか。
はてさて、認知症の趨りか
思い出せない!ガラスドア越しに外から私に手を振る女性がいるのだが、私はその女性の顔や名前を覚えてない。

ある駅の改札口近くのパブで飲んでいた、昨日のことであった。以前にも、通路や、広場などであいさつを受ける

ことがあったが、同様なことがあった。黙礼をしてやり過ごすのだが、何とも後味の悪い思いが残る。

 我ながら、認知症の前触れではと、気になる次第である。
赤絵の湯呑茶碗
 雨が降って来そうな空模様。百合の花、ソルボンヌをいただいたので、次男の墓前に供えるべく菩提寺

を訪れた。強い風で梅の実が境内の通路に撒き散らしたように落ちていた。数日前、次男の三回忌を執り行った。

その時に、次男の娘、私の孫娘K の修学旅行が次男の命日15日にかかるので三回忌を数日前にくりあげた。

 孫娘はその修学旅行の土産を菩提寺にあげてと送ってきた。住職の奥様にその事を告げて手渡した。

そのあと墓碑の前に行って驚いた。沖縄は壺屋の赤絵の湯呑茶碗ほか一つの湯呑茶碗が無かった。辺りを探しても

破片もない。持ち去ったのは焼き物に凝る人物でもあろうか。唖然とした。

 近くの寺院境内で、時折、骨董市などが開かれる。そこらあたりに並べられるかもと妻が笑う。
習い事
 下手からどぅ習てぃ 勝りゆんすぃゆる
      及ばらんとぅ思てぃ 思案するな

名護親方・程順則 の 琉球いろは歌 の一首である。

 カルチャーセンターで三線講座を担当しているので、この歌を受講者に最初に紹介している。

大意はこうなる。下手だからこそ稽古して上手になるのです。とても及ばないと思って思い惑うな。

 ふぃたからどぅ ならてぃ すぐりゆんすぃゆる
      うゆばらんとぅむてぃ しあんするな

このしまくとぅばになって、はじめて、歌がいきいきしてくるところを感得してもらうのに一苦労する。
月桃の葉
月桃手漉き名刺
 最近、名刺を発注して思い出した。

沖縄では、さんにんば といい、月桃葉と書くが、これを紙漉きの作業をして、名刺の台紙にしていたこと

を思い出したのである。

 何よりもその素材のもつ香りが沖縄を思い起こさせてくれる。なんでも、この葉には殺菌作用があるので

昔は、隣家へおすそ分けなどと調理品をあげるときは、この葉に載せていたと聞く。

 この葉を混ぜて畳の芯床をつくると、ダニとかの微生物も寄って来にくいと聞いている。

沖縄の音楽を趣味にしている自分には、次回は沖縄に名刺を発注しようかとも思う。

 
人形の髪の毛が
 サイドボードの上に飾ってある人形。妻が手作りしたものだが、10年は経っている。

当初は、首のあたりまでであった髪が、今は肩口を覆ってしまうまでに伸びてきている。

こんなことがあるのは、薄気味悪く、さりとて捨ててしまうのもどうかと思案している。

 人形供養など、どこかでやっていないものだろうか。
人形の
トルコの方々は
コピー ~ Serdarbayraktar
 偶々、OER藤沢駅改札で出会ったトルコの方々。いまは、どこでなにをされているのか。
ニュースによれば、イスタンブールでは政府反対運動で街中は混乱していると。

 出会ったのは確か去年の今頃であったと記憶する。袖触れ合えば多少の縁 とかいう。あの時は私の
持っていた三線、あるいは来ていた和服に話題が集中していた。

 そういえば、Istanbul was Constantinople で始まる歌があったがその題名も思い出せない。
歳はとりたくないなあ。
ままよ、どうあろうとーー
 今日はオマル・ハイヤム風なタイトル。

仰向けにねて胸に両手を合わさぬうち、
  はこぶなよ、たのしみの足を悲しみへ。
夜のあけぬまに起きてこの世の息を吸え、
  夜はくりかえしあけても、息はつづくまい。  (小川 亮作訳)

 
昨夜から、かのハイヤムが私を眠らせない。次男の三回忌があすに迫っているせいだろうか。
外は終日の雨模様。こんな時はハイヤムのすすめに沿って酒でも飲もうか。

もうわずらわしい学問は捨てよう、
 白髪の身のなぐさめに酒をのもう。
つみ重ねて来た七十の齢の盃を
 今この瞬間でなくいつの日にたのしみ得よう?   (同上)酒器
三年忌を迎える
昨日の朝のことであった。

君の勤務先であったT社の有志の方々から君も三年忌を迎えるからと<御仏前>が届いたよ。あの時からは

今でも毎日が夢見心地だ。こうしたご芳志を見て非情な現実に引き戻される。

 命日のこの15日、君の愛娘KT、は関西は、京都、奈良への修学旅行だ。見守ってやってほしい。

ちむ・ちゃい
 どこの国の言葉?

まず、それが気になった。なんと造語であった。沖縄に<ちむぐくる>という言葉がある。肝心と書く。

その意味は、心、こころとしか書けないが、心奥とすると、やや、当たっているかも。

私にブログを送信してくれる沖縄のT氏の記事から、この ちむ・ちゃいを見つけたのだが、ちむ は

前記の意味、ちゃい はタイ語でこれも心を意味するという。かのLin Yutang の本でユーモアをもじった

ユーモレートなる造語を見つけたが、この ちむ・ちゃい も なかなか、洒落ている。タイの手細工品の

バザール、それを<ちむ・ちゃいバザール>と名づけたとのことであった。
誕生時間
 今日は奇しくも「時の記念日」

私が生まれた時間が、7時40分、昭和13年2月16日として命名書に裏書されていた。

命名は菩提寺の先代ご住職によるものであった。母の遺品の中にあったものだが、75歳の今になってみると

この7時40分という時間は、特別な感慨をもってくる。

 「夜闇わち出じてぃ、明さ御代拝でぃ、玉黄金すくてぃ、母ぬ祝い」 (琉歌)

自分が生まれた生年月日も大事だが、その時間を知る、あるいは子に伝えておくことは意義が

あることではなかろうか。家族017
天国の息子へ
数えでかぞえるものらしい。君が逝世して3年になる。

その間際の病床にいる君を直視できないでいた私であった。テニスに、サーフィンに、スキーにと活動的

であった君が、第二のおむつをあてられ、モルヒネをうたれ、酸素吸入を受け続けていたのだ。涙をこらえて

かろうじて手元にあった「十七八節」の楽譜の裏に君の苦しくても最後まで端正な顔でいてくれたところを

素描していた。ボールペンで描いたものだ。君の命日の6月15日はあと数日後だ。天国の息子へ
蛇を見た
 今朝、玄関をでたところで蛇をみた。今年、初めてである。

2メートルはあったろうか。太さは2~3センチほどであったろう。今までは錦明竹の叢のなかに

いたことか。竹の葉が叢のなかに落ちて人の背丈ほどに堆積しているので住み心地がよかったろうと

思われる。もう、10年以上も以前のことになるが、と妻が言う。近隣の人が、同様に出てきた蛇を件の竹

の近くで殺した。その死骸を通学の子供たちが面白がってか遠くまで持って行って捨てたとか。

 その数日後、その近隣の人が、急逝してしまったと。



そうだったのか!
昨日のことであった。ある言葉を、かのLin Yutang がどこかで書いていたと思い調べているうちに

そこを見つけ出したら零時をまわってしまった。

 Confucius said :"If a person does not say to himself 'What to do?What to do?'
indeed Ido not know what to do with such a person!"---one of the few concious
witticisms Ihave found in Confucious.

Lin Yutang は、孔子の、<如何せん 如何んせんと言わざるものは如何ともなし難い>は
我々の従来の解釈とは異なる解釈をしている。ここを<意識的な諧謔の一つ>と捉えている。

 自分で自分を調教できている人には、孔子といえども導きの術を知らない といったことになるのか。

時々、こんなことで、眠りが浅くなる。今、朝9時をまわっているが睡魔が襲ってきた。
リュウマチと千羽鶴
 
わが次男の三回忌法要を菩提寺の三島山感応院で執り行った。二日の日であった。彼の愛娘KTも法要に

きてくれた。私から見れば彼女は孫娘。15歳である。我が次男の命日はこの15日であるが、孫娘はその日

が関西への修学旅行だとて、くりあげて二日にした次第。寺に千羽鶴が文字どうり千羽ずつを二つに吊り下げてあ

った。寺の話ではリュウマチで苦しむ老婆が、長さ4~5センチの鶴を痛さをこらえながら懸命に折ったそうであ

る。その結果、リュウマチが治ったそうである。我が母も晩年リュウマチで苦しみぬいて亡くなった。

信仰のなせるところか、指を細かく動かす、リハビリのもたらす効果なのか。左様なことを思うて亡き母をも追慕

する私には孫娘の輝くばかりの容姿が、また、寺の庭の緑の濃さが眼に映じてくるばかりであった。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。