琉球古典音楽 五木田音楽研究所 ~ ブログ ~
日々の出来事や沖縄に関する事等、つづっていきます。
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後先
アルジェリアで邦人がテロの凶弾などにより生命を奪われたのは何とも無念であり、ご遺族の方々には
何を以てしても慰めにはならない胸中をお察しすることしかできない。

特に、老齢の母親の逝世した息子によびかける姿には涙を禁じえなかった。自分の子供が先に逝世するなんて
思ってもみなかったであろうに。

自分も一昨年、わが次男を肺がんで43歳の若さで亡くしたことを思い出す。夢のなかでよいから会いたい
と思うが、夢にも出てくれない。

時は巡ってくるが、生命だけは巡ってこない。泰西の詩人も言っている「去年の雪やいずこ?」
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梅の木
我が家の玄関先に梅の古木がある。樹齢90年ほどのもの。南高梅である。いま、蕾は硬いが

たくさん付いている。桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿というが、私は、その後者になるだろうか。

今時、梅を食べることもないし、花が桜花と見まごうほどに付いているのは見事で、それを

2階の窓から眺めるのも一興である。沖縄の104歳で亡くなった叔父が我が家をたずねて

来てくれた時に、立派な梅の木だから伐らないようにと言い置いていったことを思い出す。

 亡くなった我が母は、この梅の実をよく丹精して梅干や梅酒を作っていた。春先は、なぜか

故人をおもいださせる。
琉装の亡母を偲んで
家族 010
 やがて、3月になると、亡母の祥月命日である。

母は肉、卵、が嫌いであった。沖縄の果実、とくに、タンカン、マンゴーを好み、ゴーヤも好きであった。
ゴーヤは毎日たべても飽きないと言っていた。

タンカンは命日の頃には市場からなくなるので、いま、仏前にお供えをしている。画像は
母が沖縄に行って撮ったもので、70歳ころのものだと記憶する。

幸せうすく逝ってしまった母であるが、こよなく愛でていた孫娘Kの琉装の姿を見たなら、涙を
流しながら抱きしめたことであろうことかと、せつなく、やるせなく思うこの頃である。
伊差川世端師
 琉球古典音楽で野村流、その礎を築かれた伊差川世瑞先生の音楽テープを偶々、入手できた。
ある方Sさんが、母親が大事にしまっておいたものを、これを父親の遺品だからと渡されたという。

 Sさんは数年前、父親をなくされたと聞く。渡された音楽テープは、往時の録音技術なので、ノイズが載っているが、それだけに希少価値がある。Sさんは母親が病身で独居されているので、三線を習おうとして古典音楽新人賞まで獲得している方だが、今は、母上の看病に専心されている。

 このところ、寒さがつのるばかりだが母上のご快復を祈るや切である。
かんきわまりこえなし
幸地亀千代師生誕116年顕彰公演 「感極無聲」
kouti.jpg
私にとっては、おそれ多いことであるが、先師の遺徳を偲ぶ立派な公演のパンフレットを入手できたので
ここに、採録させていただき、精進の糧とさせていただきたく。師のご謦咳に接したことはないが、お姿の
写真に接しただけで、何か、オーラのようなものを感じる。
それと、この公演の実行委員をつとめられた諸先生方、また琉球新報社に深甚の感謝を申し上げる次第です。
島くとぅば <なんくるないさ>
琉球新報 「南風」
昨日、川崎で沖縄県人会、新年会があった。
70名ほど集まっていた。お年寄りが多かった。琉球舞踊あり、からおけありでなかなかに賑わっていた。

添付資料は、その際に、幹事から渡された琉球新報1月17日付のコラム{南風}のコピーである。
沖縄の方々の、しなやかに生き抜かれてきた原点をみる思いであった。
もう、半月
 早いものだ!今年は何か抱負をと思案しているうちに、半月を経過している。例年の私は
暮れになると、はてさてどんな抱負であったかとなることが多い。

 今年は、書いておいてみよう。かのLIN YUTANG氏が中国の諺であると前置きして記している
「A man who cannot tolerate small ills can never accomlish great things」

 「小不忍即乱大謀」と中国ではかくそうな。
聞えきて
今日は朝から雪が降っている。雪を見て思い出す歌がある。

「聞えきてひかれこそすれ 三味線のおともかもなき 身を知らざれば」

大船駅近くに洒落た居酒屋があった。壁面に鳥羽僧正の鳥獣戯画が描かれていて

その近くにこの歌が墨筆で書かれてあった。

今は、その店はないが、寒くて、小雪混じりの晩に立ち寄ったこの店の、ほのぼのとした

暖かさは今も脳裏に残っている。
老化現象か
妻は聴こえるという。私には聴こえない。風呂が沸き上がると、ピッという音が連続的になるのだが

居間にいて、フラッシュドアを隔てて座っているいる私と妻では可聴域が違うようだ。

居間にテレビを置いているが、私は小さい音でもよく聴こえるが、妻はそれを聴こえないと嘆き

大音量にするが、私には不快音である。老化の進行、やむを得ないと知りつつも男と女では、かくも

違いが出るものだろうか。


年賀状
恭賀巳春
年末に孫娘KT嬢と会食した。

彼女は14歳、身長165センチもある。砲丸投げの選手でもある。紅一点とか。、

今年も受験や塾で忙しかろうが、好きな寿司をご馳走してあげたい。老いの身としては孫娘の

成長が何よりの楽しみ、生きがいである。

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