琉球古典音楽 五木田音楽研究所 ~ ブログ ~
日々の出来事や沖縄に関する事等、つづっていきます。
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尖閣列島問題
「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」
最近、幾度と無く尖閣列島の問題がニュ-ズに採り上げられている。前にもここで、添付した琉球新報の2010-11-28付のコピーをあえて再掲したい。1919年に中国福建省の漁民31人が遭難し魚釣島に漂着した際、石垣島の住民が救助にあたったので翌年1920年に感謝状が贈られ、中華民国駐在長崎領事印、領事名印が、印捺され
「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と明記して石垣村長に贈られたもの。

かような公印のある書面をもって中国や台湾にわが国の領土であるのは明白だと言ってやりたい。
言って判らないなら、これが最後の理性だ と自分の大砲の砲身にラテン語で ULTIMA RATIO と刻ませたお方
もいたことを忘れるなよ といってやりたい。
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朝の涼しいうちに
日中は暑いので、今朝、5時ごろ家を出た。行き先は我が家の菩提寺、三島山感応院。
沖縄に行く前に墓参りをしたが、連日の暑さで、供えた花も枯れていた。

新しい花にかえてみると、今は亡き、曾祖父、祖父、父、母、次男の喜んでいる面影が浮かぶ。朝蝉までが
一段と声をあげて鳴き出していた。次男は蝉と同じに短い命(43歳)であった。墓参を終えて階段を降り始めると
足元から飛び上がり吾が袖にとまったものがあった。見ると、油蝉であった。瞬間、吾が次男Uが蝉に化身して
我が家に連れて帰ってとせがんでいるようで切なかった。其の蝉は帰路の途中で飛び立って虚空に消えていった。
琉装のすすめ
「テンペスト」--NHKのドラマで琉球王朝を背景のそれであった。
あのドラマに出てくる王朝人たちの衣裳が琉装とよばれている。

沖縄に旅行する人に勧めたいのが、琉装で写真を撮って記念にすることである。過日、中学二年の孫娘と沖縄に
行ったが、結髪、着付け、衣裳、化粧こみで約3万円ほど。

出来上がりに約1ヶ月かかるが、なんとも楽しみなことよ。沖縄出身のOさんは奥様との結婚写真がないという。
戦時下の結婚だったので、ここで、奥様への感謝の印として、お二人、琉装で写真を撮りたいといわれる。

首里城祭りに、一般から国王、王妃に扮して琉装の似合う若い男女を公募するのは、たしか、今頃ではなかったろうか。

昨日の首題と同様
児玉清子襲名披露公演 10月6日(日 002
 先代、児玉清子師匠の舞台を私が初めて見させていただいたのは、たしか渋谷の東急文化会館で<黄泉の国>
と題された演目であったと記憶する。その先代師匠のあとを継がれての、ご襲名披露とあって、さぞかし、ご盛会
となられることと拝察申し上げる。いまは、あらためて先代児玉清子師のご冥福を祈るばかり。合掌。
二代目児玉清子師匠のご襲名披露公演近し!
蜈千脂貂・ュ占・イ蜷肴喚髴イ蜈ャ貍斐€€・托シ先怦・匁律・域律_convert_20120826180344
初秋の沖縄芸能を堪能できる機会が訪れた。昼の部は三線講師として務めているので、鑑賞出来かねるが
夜の部は何とか都合して、参席できそうだ。
 其の頃には、吾が孫娘の琉装写真もできあがる頃。楽しみが重なる。
新聞の物故者欄
この21日から24日まで沖縄に滞在した。現地新聞に眼を通すと、まず、本土との大きな違いがある。
物故者欄の大きさである。見開き2ページはまず全部そのスペースで埋め尽くされている。
喪主はもとより、物故者の孫、ひ孫にいたるまで遺族名が掲載されたりしている。

いま、生きていることの有難さをあらためて、感じる。台湾の新聞も同様に物故者欄が割かれて
いるとか。

そういえば、最近、黒色の日傘をさしているご婦人が見受けられるが、沖縄では物故者の遺骨などを
墓に運ぶときに黒い傘をさしかけていたことを思い出してしまう。日傘はやはり白色がご婦人を
美しく見せると思うが、私の、それは美学でもある。
三線弾奏
三線弾奏

 三線を弾奏するとき、急に頼まれたりすると、スーツ姿ででも弾奏せざるを得ない。しかたない事だが
気分的には乗れないことが多い。

 和服のときは、その逆で、時間が限られていても、もう少し演じてという気になる。飲みにでかけても
スーツ姿では在職中のような気分で寛げないが、和服であると、流飲したくなる。

 沖縄ではサラリーマンが飲みに行くときでも、一度帰宅して、入浴でもして、かりゆしウェアーなどで
飲みにいくほうが一般的なところ。ビジネスバッグなどもって飲み屋にいくなど、憚るところとなる。

その辺と相通ずるものかも知れぬ。


浦添商業敗れる
良く健闘した!拍手、拍手

敗れても選手たちみんなの明るい笑顔が素晴らしかった!

監督の気持ちは沈み行く船と最後まで共にする船長のようなところかと察する。お疲れ様でした。

私は明後日は沖縄入りする予定です。
夏祭り
昨晩に続いて今夜も、我が家の隣地の広場で町内の夏祭りが催される。

必要以上にマイクの音量をあげてくるので、うるさくてしかたない。数曲を繰り返しているので、耳にタコが

できるといったところ。太鼓もよく拍子がとれていなく耳障り。さあ!今夜も飲み屋に逃避行とするか!

おれは有と無の現象(あらわれ)を知った/またかぎりない変転の本質(もと)をしった。/しかもその

さかしさのすべてをさげすむ、/酔いの彼方にはそれ以上の境地があった。ーールバイヤートより

かような詩句がまた、私を酔わしめるのだ。
三線とエレベーター
三線、それは糸巻きである範(ムディ)に糸が層巻きされないで、団子巻になっていると、演奏中に糸が
崩れて調弦がみだれて良い弾奏が期待できない。

エレベーターも同じで、吊ワイヤーが層巻されていないと、ワイヤーが崩れて籠の停止レベルにずれを
来たして乗降に段差が生じ危険である。

また、糸の巻きつけが範の細いほうから太いほうに向かって巻き上げられていないと弾奏中に糸が緩むのは
当然の理。

こんなところが良く仕上がっていない三線が多い。カルチャーセンターの受講生で通信販売などで求めた
三線を持ってくる人がいるが、この辺をよく吟味して求めるべきかと。眼に余るほどの場合、工具持参で
修理(無償)してあげている。

浦添商業高校おめでとう!
ハイサイおじさん
ハイサイおじさん 001
「毎回安打で浦添商」滝川第二を6-1で快勝。<19日にっちょうび、また、ちばってくみすーりさい!>
応援には、あの喜納昌吉の「ハイサイおじさん」を演奏してほしい。5番を意訳すればこうだ。
やあ!おじさんよ 夕べの遊女の鬢付け油のかぐわしさ!あんたも一度青楼の客になってみなさったら
なになに?まだまだ青二才のお前が! 辻 仲島 渡地(赤坂、神楽坂、柳橋といった所)の俺は遊女達の
元締めなんだぞ ああ おじさんがそうやって毎日女たちに、かまけているから、おれの財布が空っぽに
なってしまうという寸法なのかーーー。トホホホホ!
 この程度の唄を歌詞なしで応援吹奏するだけなのに、之を止めさせる輩がいる当該役所のなんと無粋な
ことよ!
終戦記念日(その2)
この日になると老婦人S,Kさんを思い出すことは以前書いた。彼女の手記の一部を転載してプロフィール
としたい。サイパン戦記 002
「八重山郡尖閣列島」中国からの感謝状に明記ーー琉球新報より
「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」
添付資料は琉球新報の2010年11月23日の記事からコピーをしたものである。
中国からの感謝状の宛書が題記のように記されており、尖閣がわが国、日本の領土であるを認めての感謝状
である。感謝状は大正8年、中国福建省の漁民31人が遭難し尖閣の魚釣島に漂着した際に、石垣の住民が
救助したことによるものであったとされている。翌年、中華民国駐長崎領事が石垣村長の豊川善俊氏に贈ったもの
と記事にある。

 ほぼ、2年前の琉球新報の記事であるが、これほど明々白々(みんぱい)なことはあるまいに、まったく
不講理(理不尽)な輩達である。

 かの孔子も言っている。「いかんせん、如何せんといわざる者は、われ如何ともなすなきなり」とか。
まさに、たちあがれ!日本!
ぬーなとーしが
 タイトルは

どうなっているの?ほどの意味の島くとぅば(沖縄の言葉)

この FC2ブログ を利用させてもらっているのですが、投稿する前の文と登録された文とを比べると

改行とか、段落がずれていて違和感があるのが、残念です。

管理者に一工夫いただきたく、うにげぇさびら。(お願い申し上げます)
施餓鬼法要
昨日、菩提寺で施餓鬼法要が執り行われた。かの LING YUTANG は Buddhism is too sad と、たった
の四語で括ったが、なかなかの慧眼であるとは思っている。
 ところで、読経を聴いていると、私が日々、弾奏している沖縄古典音楽の発声法にかなり似ているところがある。上げ吟、次第上げ、上げ直吟、下げ吟、次第下げ、下げ直吟、呑み、掛、大掛、当て、押切 、内ぐい等々。

夕すずみのなればあいちをられらぬ 玉黄金使のにゃきゅらとめばーーーーー十七八節

 安里 盛市氏は、その著 「沖縄の歌三線」でこう述べている。<其の調べは深く重く、その声はあえぐが
ごとく、魂の在所を求めてしん吟する。>

今年の、琉球古典音楽の三線部門最高賞の課題曲の一部になっている曲目である。
オリンピックマラソンの時間計測
オリンピックに限らないが、マラソン競技には時間計測に何時間何分(何秒?)まで云々するのに、
出発時点では、一線に並べないので、後方にいる選手は不利ではないのだろうか。

水泳などは、100分の何秒を争うにはどんな計測法なのだろうか。

なぜか、競技を見ながらも、気にかかることではある。
沖縄の言葉 アラカルト
最近、うなぎが不漁であると言われる。
沖縄では、うなぎは うなぢと発音する。
女性のうなじ<項>という場合と同じ音声になる。どちらをも好む私だが、後者のほうに余計惹かれる。

かなり以前御の素描だがお二人とも琉球舞踊をやっておられる。舞踊のあとの休憩時間5分ほどの間を
モデルになってもらった。
かりゆし会
終戦記念日
南洋サイパン 1944年6月 太平洋戦争 001
南洋サイパン 1944年6月 太平洋戦争 003
この時期になるとS,Kと呼ぶ老婦人をおもいだす。三線を習いたいと数ヶ月通ってきたが、ブラジル国籍のため、
ビザの更新のためブラジルに帰っていった。その際に、私に彼女の息子で在ブラジルの彼がポルトガル語で書いたもの全8枚を渡された。彼女のサイパンにおける戦争体験が書留められている。「次女の妹、道代ちゃんは水、水がほしい。水が、とないてばかり。母は衰弱しているからだから乳を必死になってしぼり、一滴出るとなめさせ、、父は、自分の小便を茶碗にだして<ハイ、水だよ>と飲ませた。この邦文は彼女があとで読んでと私にくれた手記の一部を転載させてもらったものである。
 彼女は今も元気でいるのか、杳としてわからない。
watasino
第75回沖縄芸能大会開催 10月28日13時から
芸能  第75回沖縄芸能大会
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年に一度の沖縄芸能大会。今年は75回目を迎える。古典音楽、民謡、琉球舞踊と盛りだくさん。
当日は13時から17時頃まで。開演前から長蛇の列が。会場の隣の川崎競輪場でもこれほどは、並ばない。

写真は、当日<鳩間節>を踊る吾が教室の名花、K,H嬢 <ぐすうよう、うんちけーさびら>
浦添商業高校 初戦突破!おめでとう!
6対4で強豪の相手に競り勝ったのは快挙である。

それにしても、応援に「ハイサイおじさん」の音楽が聞こえないのは、いかにも寂しい。それに勇壮な

エイサーの姿も見られないのも残念だ。文部科学省の役人たちの狭量な裁量によることかもしれない。

「ゆうべの三合瓶が残ってたら、おれに分けて呉れないかね、おじさん!」とか「夕べの女郎の鬢付け油の

あの香りがーー。おじさんも遊郭に行ってみたら」のような歌詞があるのがけしからん!とのことであろう。

エイサーも沖縄チームの応援席の一角で演舞するだけで<あまくま>動き回るわけではないのに動作が危険

とでも言いたいのか。小童役人のバカさ加減たらキリがない。



合格おめでとう!
琉球新報社主催の、琉球古典芸能コンクールが開催されている。吾が研究所のA君が、笛の新人賞部門で

美事に合格を果たした。「琉球古典芸能芸能コンクールは、公正厳格な審査によって卓越した新進芸能家

を見いだし、琉球古典芸能界への登場を促して、琉球古典芸能の正しい継承と芸能文化の発展に寄与する

のが目的である。」コンクールの趣旨として同社の実施要項にある文面である。A君は,やまとんちゅで

あり、課題曲の<踊りこはでさ節>は私の唄三線にあわせて笛の吹奏の練習をした。今だから言えるが、

最初の頃は、とても、首尾よくいくとは思えなかった。相当に稽古を積んだのであろう。まずは、彼と

祝杯を挙げたいところだ。明日は稽古を休みにして美人の居るところへ行ってみよう!



立秋になると思い出す人
それは、ling Yutang である。平易な英文なので、下手に邦訳するよりも原文を引用させて頂く。

 There comes a time in our Lives when the innocence of spring is amemory and
the exuberance of summer a song whose echoes faintly remain in the air, when as we look
out on life,the problem is not how to glow but how to live truly, not how to strive and
labor but how to enjoy the precious moments we have,not how to squander our energy but
hoe to conserve it in preparation for the coming winter.
-------------------MY COUNTRY AND MY PEOPLE


沖縄の言葉 アラカルト
今日はもう立秋。

残暑見舞いとする候。沖縄では 残暑 とは言わない。<別れ暑さ>(わかりあつぃさ)と言う。

「まだ、居残っている」という感じと 「別れ行く暑さ」という感じだが、沖縄の言葉のなかには

暑さへの愛着すら感じさせるところがあり、よい表現であると思う。





消夏法
芸能
猛暑が連日で、74歳にもなる自分は、疲労度がたかい。

こんな時は未整理の書類の整理に限る。

偶々、其の中に紛れていたのが、この目録。ホテルを終日借り切って、夜は自宅の庭先に桟敷を作り、

ホテルに来れなかった方々をもてなし、挙句のはてには、近くの公民館で飲み明かすといった始末。

沖縄の方々の酔いの彼方にみえるものは、何なのだろうか。わが叔父の「かじまやー」のお祝い、それは

97歳のお祝いのことであるが、当の叔父は104歳まで生きられた方であった。

原爆忌
広島
もうすぐ、原爆忌がやってくる。
今は亡き母が、此の時期になると、自分の姉のこの遺影を卓上に飾って、冥福を祈っていた。
母の住んでいた家を取り壊した際に、私から見ればこの伯母の写真をさがしたが、見つからず困却していた。
偶々、伯母の一人娘、私から見れば従妹から写真をコピーさせてもらったので、手許におくことが出来た次第。
従妹から、伯母のハンドバックのなかに残っていたとて渡されたもの、それが写真の脇に写っているバスの乗車券
である。伯母は広島で暮らす以前は鎌倉で、バスの車掌を務めていたと聞く。
 私はかつて、2年間にわたり、伯母が原爆で亡くなった地点から、300メートルほどのところに単身赴任で
勤務したことがある。
 母に代わって伯母の遺影写真を飾り、冥福を祈ろう。
沖縄の言葉 アラカルト
 「かまんたー」という言葉がある。

釜の蓋 のことである。それが間男の謂いである。

主がどこかへ出かけていた。其の合間に妻が別な男を家に引き入れて愛の交歓をしていたが、やがて、どうも主が

帰ってきた気配がする。咄嗟に彼女は台所の大きな釜、それは家畜用の人がくの字状に伏せることが出来るほどの

大きさであったらしいが、そのなかに間男を押し込み蓋をして難を切り抜けたところから、出た言葉らしい。

この蓋も蒸気が程よく出るが、釜の内がよく見えるほどの隙間はなかったものらしい。沖縄には、かつて

「さぎじょーき」とよばれる、つりかご状の容器があったが、その蓋の大きな物それが{かまんたー」と

思えばよい。酒場でこの種の話に及ぶと客人から「俺もかまんたーになりたい!」の声が必ず聞こえてくる。

素描と写真
家族032
私は素描と写真のどちらかを採れと言われれば、素描のほうを採る。人物のばあい、彫刻家の夢とでも言いたい
ような人に出会うと、すぐに画帳をひろげて描きたい衝動にかられる。

 この写真は72年前のものだから、素描というわけにはいかないが、現在の幼児であれば画帳に納めておきたい
気分である。

岡本太郎が「沖縄文化論」のなかで、琉球舞踊、とりわけ、「しゅどぅん」についての一文は、すばらしい。
太郎は<眼の人>だ。私もあのような眼力をもって画帳をひろげたいものだ。



沖縄のことば アラカルト
毎日、猛暑が続くが、かような様子を<まふっかー>と沖縄では言うようである。
語感が暑さ真っ盛りを彷彿とさせている。

茶屋節に 拝でのかれらぬ首里天加那志 遊でのかれらぬ御茶屋御殿 (うがでぃぬがりらん すいてぃんじゃなし あしでぃぬがりらん うちゃやうどん)の歌詞がある。 ここに <ぬがりらん>は去りがたいの意。
<すまてぬがりらん>といえば 住み心地がいいので去りがたいの意。

最近吾が兄弟子の金城秀吉師匠が芸歴50周年記念公演を開催なされた。その際、素敵な琉歌を詠まれている。
<歌の道歩で途中どやすが しばしなかゆくい明日に向かて> (うたぬみちあゆでぃみちなかどぅやすぃがしばしなかゆくいあちゃにんかてぃ)ここに、<なかゆくい>は(中休み)ほどの意とうかがっている。また、<なかめー>という言葉があるが
此の場合は 居間 という意味になり、寛ぐ、とか 憩う間の謂いである。

沖縄の言葉は国語学では、琉球奄美方言として括られているが、「なかなかに」味わい深いものを蔵している。
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