琉球古典音楽 五木田音楽研究所 ~ ブログ ~
日々の出来事や沖縄に関する事等、つづっていきます。
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ダンボ
家族 015
みんなから、ダンボといわれた君の幼いときの愛称。弟の G君 を抱いてほほえましい。特に、今は亡きわが

母が、こよなく愛でつずけていた。内孫だから、ことのほか、<がなさ、がなさ>していた。

施餓鬼法要はもう間近。君のおばあちゃんの手をひいて,家へ帰ってくるんだよ。待っているよ。
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私の好きな言葉
能間世人之所忙、萬能忙世人之所間  張潮

Lin Yutang が解説しているところでは以下のようになる。

Only those who take leisurely what the people of the world are busy about can be busy

about what the people of the world take leisurely. CHANG CH'AO

昔は、隠居の爺様 などという言葉があった。余生を<時の過ぎ行くままに>世事万端を半眼で眺めながら、家族

の日々の暮らしぶりに、優しい眼差しを送る幸せそうな爺様は何処に行ってしまったのか。周りに対して済まなそ

うに生きている老人しかいない。私も早く、楽隠居の身になりたいものだ。





家族 010
8月12日は、我が家の菩提寺、三島山感応院で施餓鬼法要が営まれる。

吾が母も其のときは、かならず、戻ってきてくれることだろう。吾が次男が昨年そばにいったので、次男(孫)
に手を引かれて来るかも知れない。

昔、沖縄の尚寧王が、当時の駿府で弟を客死させたときの琉歌
 よかてさみ、ちょでいや うやふぁうじ わんや ゆすじまのあらのちゅちじ  を想い起す。

 大意は よかったね、弟よ君は両親のもとにいくのだ 私は大和で、俵の中のたった一粒の荒もみのようなもの参勤交代で薩摩の役人に随伴していった王の心細さと弟を失った悲しみを琉歌にしている。 
奥武島
奥武島
 今頃になると、此の島を訪ねて見たくなる。
いまは亡き義父と此の島から、サバニ と呼ばれる漁船(写真下)で<神の島>と呼ばれている 久高島 に
渡ったことがある。案内の漁師は義父の親戚の人であった。家を訪ねたら、大きな金盥に魚網を入れて
豚の血液に浸して揉みつずけていた。こうすると、魚網が破れにくくなり、臭いで魚が寄ってくるのだそうな
 彼は、其の仕事を中断して快く島への案内を引き受けてくれた。
わが長男 J の幼き姿
こんな暑い日は動くのも億劫である。しばし、画帳の整理でもと数冊の画帳を久々にあけた。はらりと
舞い落ちた薄紙に描かれていたのは、吾が長男の幼き姿。四十数年まえのものとおもわれる。
 汚れがこれ以上進行しないようにパソコンに撮り込んだ。
画帳の整理
わが長男 J の幼き姿
 暑くてたまらない!画帳の整理でもしようと数冊取り出してみる。ハラリと舞い落ちた薄紙が上の素描。
45年余前のものとて大分汚れてはいるが、汚れを進行させないようにパソコンに撮り込んだ。
琉装 
時折、気晴らしに立ち寄るp,cと呼ぶ酒場がある。某大学のドイツ文学教授の某氏であった。客人のなかから
画帳に素描を描くのが達者な方であった。私も画題にされたのが縁で同氏の画帳に同氏の横顔を素描して
さしあげた。上の絵は同氏が描いてくれたが彩色は醤油を薄めて指先でほどこしたものである。
同氏は、この6月に癌で逝世された。ご冥福を祈るや切である。
 
 同氏にオマル・ハイヤームの詩の一節をささげる。

苦心して学徳をつみかさねた人たちは
<世の燈明>と仰がれて光りかがやきながら、
闇の夜にぼそぼそお伽ばなしをしたばかりで、
夜も明けやらぬに早や燃えつきてしまった。  (小川 亮作訳)
わが師匠の素描
吾師 仲宗根 忠治先生
私の今あるのは、わが師、仲宗根忠治師匠のご指導によるところ、また、兄弟子の諸先生のご指導によるところが
全てである。
 師匠は今年90歳の御寿齢であり、いつお会いしても、お元気で輝いて見える。私などは、まだまだ、
なまわらび。
 師匠は今上陛下が皇太子であらせられたころ、東宮御所で沖縄芸能のご披露を、また、沖縄が本土復帰の節には
米国大使館(麻布)にて日米の高官を前に沖縄芸能の披露を采配なされている。
 長生きの秘訣はとお伺いすると、<それはね!異性に関心を持つことだよ!>
吾が師匠にしてこの おことば 肝に銘じておきます!はい!
命名の書
家族017
家族018
家族018
家族031
もう、私も74歳を過ぎた。此の時点であらためて自分の命名の書をみている。昭和13年2月16日7時40分
に生まれている。命名してくださったのは菩提寺の先代御住職である。母の遺品の中からみつかったものだが
墨蹟も昨日のそれのように瑞々しい。御住職の墓所入り口に 除闇遍明 と刻まれた低い石柱だが二柱が立っている。因みに菩提寺は真言宗で山号を 三島山感応院 と呼ぶ。
トラックバックテーマ第1472回「得意な絵」
妻 素描 001
妻 素描 002
得意というほどではないが、風景よりも人物画を好む。特に酒を飲みながら数分での素描画が得意。
写真をみて描くことは出来ない。自分の眼で見たものしか描けない。
オスプレイ異聞
osprey とは みさご という鳥の呼びであるらしい。ところが off plane と命名して米国へ送り返したほうが良さそうである。

 米国大統領の乗るヘリコプターは、osprey にはしないで旧来のそれを使うというではないか!
osprey に日米の防衛首脳陣をのせて米国上空で試験飛行をやるべきであろう!
琉球古典芸能コンクール 三線の部 
明日は、来月から始まる題記の三線のコンクール参加者の模擬審査が行われる日。私も

仮審査員の一人として参席する。発声、発音、発想、節入、音程、調弦、テムポ、姿勢などが審査対象
となる。

往時の自分を思い返して思わず胸が熱くなる。受験者全員の健闘を祈るや切である。
10万人にひとりの直腸がんから生還して
直腸がん(腺癌)2004-09-21摘出
直腸がん(腺癌)2004-09-07摘出
来月は直腸がん摘出から8年目の定期健診を受ける予定月。罹患率が10万人にひとりといわれた。

執刀医にお願いして摘出後、撮影してもらった。腰痛がひどく市内はもちろん市外の整形外科や鍼灸、整体
など、巡礼のように訪問したが腰痛が治るどころか強くなってしまった。最後は排尿、排便もできず、睡眠も
確保できない激痛であった。体重は47キロまで減少した。

いまは、お陰で体重も64キロに増え、好きな酒も楽しめるようになった。
浴衣姿の孫娘
家族200
孫娘 K,T は<眼の中に入れても>という言葉のとうり愛くるしい。

笑顔が父親に似て素晴らしい。その父親(わが次男)が43歳で黄泉の国に旅たって一年が過ぎた。

K,T の成長と幸せを楽しみにして生きよう。もうすぐに、菩提寺で盂蘭盆会法要の時期になる。

 大空の極はどこにあるのか見えない。 酒をのめ、天のめぐりは心につらい。
 嘆くなよ、お前の番がめぐって来ても、星の下誰にも一度はめぐるその盃

此の時期になると、オマル・ハイヤームの詩(小川亮作訳)の一節が脳裏を駆け巡るのだ。
新内と沖縄古典音楽
新内は、いま蘭蝶比糸、若木仇名草(お宮が、此の糸のところに夫と別れてくれと談判にきた場面)を
習い始めている。

 本調子と上調子とファルセットによる口上で成り立つ新内。楽譜はあるが小節ごとの時間は決まっていない。
三線譜でもちろん、横書きである。声楽の譜面があるわけではない。師匠に相対しての個人稽古である。


沖縄古典音楽は本調子と二揚を合奏はしない。琴や胡弓、笛、太鼓などとの合奏はある。唄う場合ファルセット
はしない。また、歌詞は意味の区切りでの小節になっていない。弦楽譜も声楽譜も縦書きであり、前者は原稿用紙
然とした枡目のなかに、あるいはその境目にかかれる譜により構成され、その一枡を一拍子と数え、時間を表している。

新内は沖縄古典音楽に比べて、江戸職人芸的な肌合いを持つかな と感じる。月に2回の稽古が楽しみである。

 
素描と写真
家族 100
肺がんに蝕まれて苦しんでいた吾が次男、雄司。
カメラを病床に向けるのはつらく躊躇した。。
そばにあった団扇に持っていたボールペンで素描をした。
10日後に彼は黄泉の国へと旅立った。
我ながら、よく描けたと思っている。吾が部屋に遺影とともに掲額して朝夕に祈りをささげている。
彼が逝世して1年余が過ぎた。庭先の石榴の枝にきて鳴いたりする小鳥にも、吾が息子の化身では
と想いを馳せたりする此の頃である。
領土問題と税金
わが国固有の領土であると主張するなら、そこに居住するものから、固定資産税とか住民税とかを

収税すべきであろうに。国と国とになるとそう簡単にできないことぐらいは判るが、相手国の大統領

が、わが固有の領土を視察したとかで騒ぐくらいなら、メディアは収税のことに言及して然るべきと考える。

日々税にあえいでいる私にとっては、その辺のところを追求してほしいと考えてしまうが

余りに、幼稚すぎることなのだろうか。

カラオケ寸描
カラオケ 
10日ほど前になるが。
その店のカラオケの装備が気に入っている。も一度連れて行ってほしいとの声掛かりで、私共々3人で
件の店を再訪した。端的にいえば、1曲1曲がそれらの曲にふさわしい俳優、背景、ロケなどにより構成
された映像を伴っている態のカラオケである。往時の名優が多く出演しているだけに年輩者には好まれるところ
であろう。ちなみに同道の二人はもと 映画助監督の Oさんと撮影技師のHさん 映画につき語るときの眼光の
なんと素晴らしいことか。

Hさんが <カラオケ寸描>と題したDVDを制作してくださった。昭和枯れすすき オーソレミヨ 旅姿三人男
ほか、美人ママが写っているところなど、さすが映画人ならではのお二人。Oさんは奥様と琉装で近いうちに
写真をとりに沖縄に行くとか。戦時中に結婚したので、結婚写真がないのだそうな。くるちょう、うふうーび
はちまちなど、これぞ琉球衣裳の粋。其の写真をみせてもらうのが楽しみ。
 
 
経験のない大雨
なぜか、引っかかる言い方である。

未曾有の大雨とか 稀有の大雨とか のほうが判りやすいと思う。大雨は経験するものなのか。経験とは
少なからず、個人が対象に向かって、何らかの意志をもってのぞむところを以っての謂いではないのか。
読谷村のMr.D
120619_1055~01
驚きの出来事であった。最近、川崎での兄弟子の芸歴50周年講演会場でのことである。

沖縄は読谷村からきた米国人Mr.D ということなので、私の叔父の かじまやー すなわち97歳の祝宴に
参席されたMr.D とばかり思って話していた。

かじまやーの祝宴の際、私は舞台の方もありMr.D とは話す機会もなかった。だが、名前だけは知っていた。
彼の奥様が読谷の親戚の娘さんであり、祝宴には外人は一人だけであったので、はっきりと記憶していた。
ところが、話が、だいぶ進んで奥様の名前はとたずねたら、私の憶えているR子さんではなかった。

Mr.D はそれでも友好の証にと写真の日米の国旗の図柄のバッジを私の和服の襟につけてくれて再会を
約した。





千代の会 2011.11.13
今日は新内の稽古をつけていただきに延千代師匠のもとに通う日。

上調子、本調子、語り(ファルセット)夫々が三位一体となり絶妙な間合いを保ちながらの 江戸美学

今日は<若木仇名草> 言わねばいとどせきかかる 胸の涙のやるかたなさ で始まる件をならう予定。

難しい!練習をかさねてもまったく 遠洋の帆 である。

かつては、高田浩吉、淡島千影により演じられた<蘭蝶>の一場面。DVDで見たことがあるが、その声音、

演奏の技の美事さが脳裏から離れない。
LIN YUTANG
この8月に沖縄に行く予定だが、台湾に行くだけの時間的余裕がない。残念!

実は、以前から台湾にあるLIN YUTANG の旧居を訪ねたいと思っているからなのだ。

彼が My Country and My People の中であったかと思うが、Trouth can't be prouved,

it can only be hinted at. と書いているのを見て、その人柄に限りない魅力を感じて久しいからだ。

中国人としての彼だが、彼の書く英文は平易で闊達で、素晴らしいと思う。1936年版の、私が生まれる

2年前の出版の本も手にしているが、いつ読んでも新鮮な風を脳裏に送りこんでくれる。できることなら

かの旧居で彼に会いたいものだが、逝世して久しい。



吾がホームページ
吾がホームページは現在更新中ですが、アドレスは www.gokita.jp この8月に孫娘と共に沖縄に行く予定で,その目的は二つ。
一つは、琉球古典芸能コンクールの三線部門の最高賞を受験する女性に随伴指導のため、もう一つは
吾が孫娘の琉装姿の写真をスタジオで撮影してもらい、吾がホームページに反映したいと思っています。
14歳、娘盛りの孫娘Kちゃんの花嫁姿を見るまでは、せめて生きていたいと思う日々ではあります。
吾が画帳の一ページ
家族101
昔者、荘周は夢に胡蝶と為る と記されている。

君が3歳のときの寝顔を画帳に収めたものである。昭和45年8月22日夕と

記載されている。

いま、君は奈辺にいるのか。胡蝶になって天国を優雅に飛翔しているのだろうか。

沖縄古典音楽に「昔蝶節」がある。みすとみてうきて にわんかてみりば あやはびるんぞが

あぬはなくぬはな すゆるにたさーーー 43歳で冥府に旅たった君の一周忌を過ぎて

沖縄古典音楽と調弦;ちんだみ
かつて訪ねた酒場の壁に、何方の作かは判らなかったが、こんな歌が書かれてあった。
 聞こえきて ひかれこそすれ 三味線のおともかもなき 身を知らざれば

沖縄古典音楽の三線も調弦が大変むつかしいことに変わりはないが、古典音楽はその歌詞も沖縄の方言、古語
によるだけに、発音、発声がことのほかむつかしい。最近は音源さえあればある程度の自習もできよう。

ところが、それだけでは、沖縄の古典音楽らしく聞こえてこない。わが師匠の言われるところは、やまとんちゅう
の歌三線には、沖縄の、風の薫りとか土の匂いとかいうものが感じられないという。

そうだ。きっとそうだ。沖縄人と共に共鳴する<心のちんだみ;調弦>ができていないのだ!




母の遺品
コピー ~ 家族019

母の遺品を整理していたところ、和紙に包まれた写真があった。
母29歳、左から順に、私10歳、四男2歳、三男5歳、次男8歳と父の筆跡で裏に書かれている。
母の13回忌も近い。よい写真が発見されて弟たちにあらためて、コピーを手渡しして母を偲びたい。
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